榛名丸船内風景印と香港引き受けPaquebot印 1938年

香港Paquebot印整理。なかなかストリーのあるカバーは少ない。コレクター作成郵頼カバー多い。このはがきは文面と船内風景印から榛名丸投函と判明。詳細調査開始。1938.3.6にシンガポール停泊中書いて、3.10船内処理風景印3.11香港ビクトリア局のPaquebot処理印。なぜ船内局で処理したのに、引き受け局でPaquebot処理したのかとの疑問からスタートです。

過去に入手四日市、小坂氏の船内郵便史のコピー内に、同じ日付ドイツ宛てはがき見つける。

原文(改行を整理)

d. 6. März.

Lieber Herr Wössing,

Von Singapore sende ich Ihnen schönste Grüße.

Auf dem Schiffe habe ich einen Österreicher kennengelernt, der nach Japan fährt, um die japanische Geschichte zu studieren.

Ich schreibe auch wieder, sobald ich in Japan bin.

冒頭の日付は「6. März」と読めます。日付の前の略記は判読がやや不確実です。宛名の姓も暫定判読です。

2.日本語訳

3月6日

親愛なるヴェッシング様

シンガポールから心を込めてご挨拶申し上げます。

船の中で、あるオーストリア人と知り合いました。その人は日本の歴史を研究するために日本へ向かっています。

私が日本に到着したら、また手紙を書きます。

この通信文で特に重要なのは、差出人自身が日本へ向かっていること、そして3月6日付でシンガポールについて記していることです。

ただし、文面の「シンガポールから」は、必ずしもシンガポール港内で執筆したことを証明するものではありません。

3.宛名・差出人の活字化

差出人(上部)

Abs. Dr. R. Yoshida

「Abs.」は Absender(差出人)の略。氏名は暫定判読です。

受取人

Herrn
Werner Wössing
Berlin-Lichtenrade
Pap.str. 1
Deutschland

姓と番地の街路名は筆跡からの暫定判読。「Berlin-Lichtenrade」はベルリン南部の地名です。

榛名丸に関連する歴史資料の参考画像

榛名丸船内郵便 — ベルリン留学者の帰国航海(1938年)

1938年3月10日、榛名丸船内風景印を押したドイツ・ベルリン宛10銭葉書。翌11日、香港Victoria局でPAQUEBOT印による取扱いを受けた。

差出人の署名は「Dr. R. Yoshida」と読める。ベルリン大学の在籍記録には、1937年11月11日に「Dr. phil.」として登録されたドイツ文学者・吉田六郎(1908年生まれ)が存在し、氏名・肩書・時期が一致する。差出人は同人である可能性が高いが、帰国船の直接記録は未確認である。

回り道、元のはがき調査再開

香港新聞Hongkong Daily Times 1938.3.11

日本郵船欧州航路に展示したリーフから、榛名丸船内郵便局船内風景印1938年3月10日香港Victoria 1938.3.11の消印のあるはがき。ドイツドレスデン宛て。文面からシンガポール停泊中3.6の内容。ルート調査 香港新聞から欧州からの復航海の広告を見つける。シンガポールから香港まで航海中、船内郵便局に投函郵便物を風景印押し処理。香港ビクトリア局に引渡し、日本切手貼りPaquebot便確認証示印押す。その後のドイツまでのルートは推定で新聞広告探す。同じ広告に12日諏訪丸寄港、スムーズに積み込みならこの船でスエズ経由マルセイユ揚げと推定。だが大連経由シベリア鉄道の方が早く欧州に到着。どのルートに乗ったか残念到着印も受取確認書き込み等もなく推察はこれで終わり。シンガポール3.6→ 榛名丸→ 船内印3.10→ 香港Paquebot3.11

なぜ船内印押し後、Paquebot印が押されたか? 通常船内局は閉郵便袋で香港局に渡す。そのまま消印押されず目的地に閉袋のまま送付される。日本宛てでなくドイツ宛てのめ郵便少なく別に束ねて郵便局員に引き渡したと思われる。香港局では船内印で処理されているが開袋便であるため、受取としてPaquebot印を押したと思える。下記の同じ新聞の中に香港での郵便の取り扱い欄を見つけて、詳細に見ると下記の様にシベリア経由欧州向けは榛名丸積込み2.30PMの記載あり。香港局の消印は9.30である。これから前述の諏訪丸積み込みでなく、榛名丸再積込みシベリヤ鉄道輸送で欧州まで送付の可能性が高い。AIではOCR読み込み精度悪くなかなか詳細は読み取れない。やはり最後は人間の目です。風景切手10銭、赤の榛名丸船内風景印、黒のPaquebot印、香港ビクトリアの日付け印と並んで色の配置も込みのである。

榛名丸船内郵便 ― 香港PAQUEBOT取扱

1938年3月10日 船内風景印 / 3月11日 香港Victoria局 / ドイツ・ドレスデン宛

リーフ解説文

日本郵船の欧州航路船「榛名丸」の日本帰航中に取り扱われた、ドイツ・ドレスデン宛の絵葉書。日本の風景10銭切手を貼り、1938年3月10日付「HARUNA MARU / SEA POST / NIPPON」の船内風景印が押されている。翌11日午前9時30分の香港Victoria局日付印と、切手上に重ね押しされたPAQUEBOT印を伴う。

日本郵船の1937年12月時点の広告には榛名丸の1938年3月6日シンガポール発・香港経由日本行き予定が掲載され、船内印と香港日付印の時系列に符合する。ただし当該便の実際の入出港時刻は未確認である。

宛先はドレスデンFürstenstraße 36の「Prof. Z. Yoshida」と判読される。1938年にドレスデン居住の日本人教授「Zenichiro Yoshida」の船客記録があり、吉田善一郎が受取人の候補となるが、この住所との一致は未確認である。

船内風景印・香港局の日付印・PAQUEBOT印が併存する実逓例であり、船内で受け付けられた郵便物の香港局への引渡しと、その取扱いを検討する資料となる。PAQUEBOT印を「誤押印」と断定する根拠、および香港からドイツへの実際の継送経路は未確定である。

リーフ記載用データ

船内印HARUNA MARU / SEA POST / NIPPON、1938.3.10
陸揚局日付印VICTORIA / HONG KONG、11 MR 38、9:30
補助印PAQUEBOT(黒色、切手上に重複)
料金・宛先日本切手10銭貼付/ドイツ・ドレスデン宛
受取人Prof. Z. Yoshida と暫定判読(吉田善一郎説は未確定)

注:このリーフはドレスデン宛の日本語葉書1通のみを対象とし、別葉書の差出人や通信文は採用しない。

資料・引用リンク/検証メモ

対象:榛名丸 1938年3月10日船内印・3月11日香港Victoria局印のドレスデン宛葉書。

原資料と出典

1.The Straits Times、1937年12月18日:日本郵船広告(1938年3月6日榛名丸出航予定)
https://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/digitised/issue/straitstimes19371218-1

2.シンガポール国立図書館 歴史新聞検索(当該便の出航実績、船客欄の照合用)
https://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/

3.The China Mail、1938年3月3日掲載資料(香港発送予定欄の照合用)
https://hkintexts.histsyn.com/series/histsyn-china-mail-engine/items/1938-03-03?p=14

4.香港歴史新聞デジタルアーカイブ(3月10~12日の入出港・郵便発送欄の照合用)
https://hkintexts.histsyn.com/

5.Bremer Passagierlisten:Yoshida, Zenichiro(1938年7月19日、Dresden在住・Professor)
https://www.public-juling.de/passagierlisten/listen.php?ArchivIdent=AIII15-19.07.1938-4_N&ID=580211&abreisehafen=Bremen&ankunftshafen=New+York&lang=de&pass=Sohns

6.吉田善一郎の研究論文(1940年、J-STAGE:同名研究者の補助資料)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/fiber1935/6/2/6_2_58/_article

7.ドレスデン1938年住所録(Fürstenstraße 36 と氏名の照合用)
https://www.saxorum.de/adressbuecher/list/Dresden/1938

8.日本の歴史的郵便料金一覧(10銭料金の照合用・二次編纂資料)
https://www.japanesephilately.com/uploads/1/2/0/1/12016630/japan_postal_rates_1871-1944.pdf

史料批判・未解決事項

① 「Prof. Z. Yoshida」の氏名、宛名の街路・番地は筆記体の暫定判読。1938年住所録の当該住所と直接照合する必要がある。

② 1938年7月の船客名簿は「Zenichiro Yoshida」という教授のドレスデン居住を示すが、この葉書の受取人と同一であることを直接証明しない。

③ 1937年12月の船会社広告は予定表であり、1938年3月の実際の香港入港日・時刻の証明ではない。

④ PAQUEBOT印の重押しが通常処理か誤押印かは、当時の日本船内郵便局制度と香港側規則で別途検証を要する。香港からドイツへの輸送船・ルートも未確定。

AIから多数のデーター収集。他のリーフ作成の参考にする。これを短くまとめて切手展用リーフ作成です。