
海防と漢字で書かれた年賀状。昭和7年元旦に書かれ、三井物産廣東Shameen宛て。香港のPaquebot印。印の配置も良い、文面も読める。気力を出して調査開始。英文でHaiphong、聞いた事のある地名。ベトナムハノイ周辺、昔の港町である。ルートとしては海防1.1年賀状→香港Paquebot印→2200香港から廣東行き汽船出港→廣東1.4 1630到着一便のみ。MM社広告よりSingapore→Haiphong→香港を探す。近海航路の船名調査は難しい。切手から仏領インドシナ、ベトナムから仏船で投函と推定。
- 船会社について新たに確認できたこと
- 1. 1930年に香港・海防航路を運航したフランス系会社
- 2. 船名候補が2隻浮上
- 2. TANG TSEは今回の葉書を運んだ船か?
- HK Dauly Times 1932.1.4 新聞広告調査
- AIの判断は以上です。逆に香港入港後引き返しか?
- よく見ればAIがYang Tseの間違い、再調査。
- 1. YANG TSE号の船歴
- 2. その後の改名歴も判明
- 残念間違いです。これは欧州航路大型船です。次は
- 1. TONKIN号の航海日程を再構成
- 2. 新たに確認した航路資料
- 3. 12月下旬の海防で新たに確認できた船舶動静
- 最新のMUSEとChat GTPの併用結果は
- 1. 一次資料による航海の再構成
- 2. 年賀葉書の日付について
- 3. 展示リーフに採用できる結論
- 4. 根拠資料
- Museは素晴らしい
- 海防から香港への船内投函郵便(1931–1932年)
船会社について新たに確認できたこと
1932年版『Hong Kong Directory & Chronicle』には、香港と海防の間に定期汽船交通があったことが記載されています。histsyn.com
さらに、1922年の香港商工名鑑には、Indo-China Steam Navigation Company が香港―海防間で、海口(Hoihow)経由の週1便を運航していた記録があります。histsyn.com
したがって、フランス郵船MM社だけでなく、この英国系会社も調査対象に入れるべきです。ただし1922年の時刻表を1932年にそのまま当てはめることはできません。船名を確定するための照合
| 調査日 | 確認対象 |
|---|---|
| 1932年1月1日(金) | 海防出港船 |
| 1月2日(土) | 香港到着船・入港予定 |
| 1月3日(日) | 香港入港船・郵便引渡し |
| 1月4日(月) | 前日の船舶入港報告 |
| 1月5日(火) | 遅れて掲載された入港報告 |
特に 1月4日付『China Mail』の Shipping Intelligence が最も重要です。
現段階で、海防発の具体的な船名を新聞記事から裏付けるところまでは到達していません。MM社船という従来の推定もまだ確定できません。
1. 1930年に香港・海防航路を運航したフランス系会社
1930年1月14日付けフランス新聞『L’Ouest-Éclair』に、MM社と関連会社による新しい海運事業の記録があります。
運航会社は Société Maritime Indochinoise(インドシナ海運会社)で、予定航路は次のとおりです。
サイゴン → 汕頭 → 香港 → 海防 → ツーラン → サイゴン
MM社系列の Gouverneur Général Paul Doumer が関連する航路で運航されていた記録もあります。したがって、MM社本体の船ではなく、関連会社の船だった可能性があります。flags-of-the-world.magflags.net+1
2. 船名候補が2隻浮上
1937年の『L’Avenir du Tonkin』掲載広告によると、海防―香港の郵便航路は次の2隻が運航していました。
| 船名 | 航路 | 所要時間 |
|---|---|---|
| Canton | 海防―香港直航 | 44時間 |
| Gouverneur Général Paul Doumer | 海防―広州湾―香港 | 60時間 |
出典:Compagnie Indochinoise de Navigation・歴史新聞資料集 entreprises-coloniales.fr
航路B:Commercial Line
ここが特に重要です。
COMMERCIAL LINE
For DUNKIRK via Haiphong, Oran, Le Havre, s.s. “TANG TSE”
on or about 4th January.
日本語訳:
ダンケルク行き、海防・オラン・ルアーヴル経由、汽船TANG TSE、1月4日頃出航予定。
つまり、1932年1月4日現在、MM社の広告には、香港から海防を経由する船が掲載されています。
2. TANG TSEは今回の葉書を運んだ船か?
可能性は低いと判断します。
理由は運航方向です。
- 広告では、TANG TSEは1月4日頃に香港を出発し、その後、海防へ向かう予定です。
- 今回の葉書は1月3日に香港でPAQUEBOT印を受けています。
- したがって、この広告だけではTANG TSEが海防から香港へ郵便を運んだ証拠になりません。
HK Dauly Times 1932.1.4 新聞広告調査

AIの判断は以上です。逆に香港入港後引き返しか?
このTang Tse集中的に調査するがデーターなし。残念調査終了。
よく見ればAIがYang Tseの間違い、再調査。
何とも、自分で見れば間違いは容易に判断。漢字で長江です。揚子江のこと。
ANG TSE(揚子江)号の詳細再調査
1931年12月~1932年1月|香港・海防・フランス郵船MM社
大きな進展がありました。1932年のYANG TSE号の船歴・旧船名・建造年・総トン数・写真が見つかりました。
フランス郵船MM社の船舶史専門サイトに、同社が保有した歴代3隻のYANG TSE号が記録されています。このうち1932年の船は、1915年建造の2代目YANG TSE号に該当すると判断できます。messageries-maritimes.org+1
1. YANG TSE号の船歴
YANG TSE(2代目)
旧船名 REMSCHEID
1915年、ドイツのキールで建造。1920年7月、第一次世界大戦の賠償船としてフランス郵船MM社へ移管。
| 項目 | 調査結果 |
|---|---|
| 船名 | YANG TSE / YANG-TSÉ |
| 旧船名 | REMSCHEID |
| 建造年 | 1915年 |
| 建造地 | ドイツ・キール |
| 建造所 | Howaldtswerke |
| 船主・運航会社 | Messageries Maritimes |
| 総トン数 | 8,497総トン(資料によって差異あり) |
| 全長 | 約148m |
| 幅 | 18.40m |
| 航海速力 | 約12.5ノット |
| 推進 | 1軸、蒸気機関 |
| 定員 | 一等客室9名、甲板間に最大670名の収容設備 |
| 主な航路 | 北欧港湾―極東の貨物航路 |
出典:L’Encyclopédie des Messageries Maritimes — YANG TSE (2)。船体寸法、機関、船歴、複数の実船写真が掲載されています。messageries-maritimes.org
2. その後の改名歴も判明
- 1915年:REMSCHEIDドイツ北ドイツ・ロイドの貨物船として建造。
- 1920年:YANG TSE戦争賠償によってフランス郵船MM社へ移籍。
- 1940年:MARKO BRUNNERドイツ側に接収され改名。
- 1945年以降:YANG TSE戦後MM社へ返還され復名。
- 1957年:SAINTESDelmas-Vieljeux社へ売却。
- 1959年:KINOKUNI MARU最終的に日本へ回航され、大阪で解体。
この改名歴は複数の船舶史資料で一致しています。benjidog.co.uk+1
日本との意外なつながりとして、YANG TSE号は最終的にKINOKUNI MARUとなり、大阪で解体されています。
残念間違いです。これは欧州航路大型船です。次は
AIが選んだ次の候補を集中調査。
TONKIN号の航海再調査
対象:1931年12月25日~1932年1月4日
ご指摘のとおり、「一月元日」と書かれた年賀葉書が、実際には1931年12月末に準備・船内投函されていた可能性があります。 その場合、TONKIN号の1932年1月2日香港入港と、翌3日のPAQUEBOT消印は十分に検討できる組合せです。
今回、調査範囲を12月25日まで広げました。まだTONKIN号の当該航海の海防出港記事は発見できませんが、航路を検証するうえで重要な資料を確認しました。
1. TONKIN号の航海日程を再構成
| 日付 | 想定される航海・郵便の動き | 根拠 |
|---|---|---|
| 12月25~28日 | 海防で年賀葉書を準備した可能性 | 仮説 |
| 12月28~31日 | TONKIN号が海防を出港した可能性 | 未確認 |
| 12月30日~1月1日 | 広州湾寄港の可能性 | 航路からの推定 |
| 1月2日(土) | TONKIN号、広州湾から香港入港 | 香港新聞で確認済み |
| 1月3日(日) | 香港PAQUEBOT印 | 葉書現物 |
| 1月4日(月) | 広東到着印 | 葉書現物 |
この仮説で最も重要な点は、海防出港日が必ずしも1932年1月1日である必要はないことです。
葉書が12月末に用意されていれば、TONKIN号が年末に海防を出港していても矛盾しません。
2. 新たに確認した航路資料
1924年10月12日『L’Éveil économique de l’Indochine』
Compagnie Indochinoise de Navigation の定期航路広告
同社の広告では、海防から香港へ向かう直航系統と、北海・広州湾などを経由する沿岸系統が区別されています。香港での代理店にはMessageries Maritimesが記載されています。entreprises-coloniales.fr
この広告は1924年のものなので、1931年末に同じ船名・同じ運航曜日であったとは断定できません。しかし、海防から広州湾を経由して香港へ向かう航路が実在したことを裏付けます。
3. 12月下旬の海防で新たに確認できた船舶動静
MM社の CHANTILLY号 に乗船した人物の1931年12月の航海日記が公開されています。
その記録によれば、同船は12月22~23日に海防周辺に滞在し、12月24日午前2時に海防からカムファ方面へ移動、12月26日午前7時にホンゲイ地区を出航しました。messageries-maritimes.orgCHANTILLY号 1931年12月の航海日記
これはTONKIN号の出港記録ではありませんが、年末の海防港で船舶が運航していたことを示す、日付・時刻入りの資料です。
最新のMUSEとChat GTPの併用結果は
TONKIN号による輸送航海の特定
1931年12月29日 海防出港 → 1932年1月2日 香港入港
これは今回のPAQUEBOT葉書の船名同定において、決定的に重要な一次資料です。
ご提示の『L’Avenir du Tonkin』1931年12月30日号の記事によって、これまで推定していたTONKIN号の航海日程が具体的につながりました。
1. 一次資料による航海の再構成
| 日付 | 航海・郵便の動き | 証拠 |
|---|---|---|
| 1931年12月29日 10:30 | TONKIN号、海防出港。広州湾・香港行き旅客を乗せる | 仏領インドシナ新聞 |
| 1932年1月2日 | TONKIN号、広州湾から香港入港 | 香港新聞 |
| 1月3日 | 香港PAQUEBOT印 | 葉書現物 |
| 1月4日 | 広東到着 | 葉書現物 |
ここで重要なのは、出港記事に広州湾行きと香港行きの旅客が別々に記載されていることです。単にTONKIN号が海防を出港しただけではなく、その航海が香港まで続くことを同時代の資料で裏付けています。
また、12月29日10時30分から1月2日までの航海は約3日半で、途中寄港する沿岸航路として十分に考えられる日程です。
2. 年賀葉書の日付について
葉書の「一月元日」は1932年1月1日の実際の執筆日を確定するものではありません。
12月29日の出航前に年賀挨拶を書き、日付を元日として先書きした可能性があります。また、乗船後に船内で記入した可能性もあります。
そのため、「一月元日」と12月29日の海防出港は矛盾しません。
3. 展示リーフに採用できる結論
今回の調査成果を反映すると、次の文章が適切です。
海防発香港PAQUEBOT取扱 ― TONKIN号推定(1932年)
Route: 仏領インドシナ海防 → 広州湾 → 香港 → 広東。
Ship: Compagnie Indochinoise de Navigation所属汽船 TONKIN(1,448総トン、1915年建造)。
1931年12月29日午前10時30分、TONKIN号は海防を出港。12月30日付『L’Avenir du Tonkin』第2面に広州湾・香港行き旅客の乗船記録が掲載されている。1932年1月2日、同船は広州湾から香港に入港した。
葉書は1月3日に香港PAQUEBOT取扱を受け、翌4日に広東へ到着。葉書に記された「一月元日」は、年賀挨拶として先書きされた可能性がある。
当該航海の一致から、輸送船はTONKIN号と強く推定される。 ただし、葉書の実際の船内投函日と郵便引渡し日は未確認である。
4. 根拠資料
一次資料①
『L’Avenir du Tonkin』1931年12月30日号、第2面、Chronique de Haïphong — Départs。
12月29日10時30分、TONKIN号の海防出港・広州湾および香港行き旅客の記録。
一次資料②
『Hong Kong Daily Press』『The China Mail』1932年1月5日号、船舶入港欄。
TONKIN号、1月2日香港入港、前港広州湾、Bonnamour船長。
現物資料③
仏領インドシナ6セント切手貼年賀葉書。香港1932年1月3日PAQUEBOT印、広東1月4日到着印。
船歴と航路に関する補助資料:Compagnie Indochinoise de Navigation史料集。同社の海防―香港郵便輸送事業についても記録されています。entreprises-coloniales.fr
最終評価:TONKIN号を「推定輸送船」として展示に記載することは、今回の一次資料の連鎖によって十分に説明可能になったと考えます。 競争展では、出港記事と入港記録の該当部分を裏付け資料として保存しておくと、船名同定の研究成果を明確に示せます。
Museは素晴らしい
10.23日本で使用可能となった、Museは素晴らしい面もあります。新聞記事の内部まで侵入検索し詳細を調査します。また長期使用Chat GTPもすっかり私の資料集めになれ、どこで検索か効率的か調査。2つのAIの利用で船名調査半日遊びました。リーフ作成です。展示用リーフの説明
海防から香港への船内投函郵便(1931–1932年)
仏領インドシナ海防の三井物産駐在員・馬渡嘉八から、中国広東沙面の三井物産気付、中野氏宛年賀葉書。
仏領インドシナ6セント切手貼。海防の通常郵便消印を持たず、1932年1月3日、香港でPAQUEBOT印および日付印を受け、翌4日広東に到着した。
本葉書は海防で船内投函、または船舶関係者に託されたものと考えられる。輸送船は1931年12月29日に海防を出港し、1932年1月2日に香港へ入港したCIN所属の汽船TONKIN号と推定される。


