最近入手カバーリーフに整理
ヤフーオークションにて落札パツクボーカバーあれこれ調べてリーフ完成した。まだ不明部分あり、調査中。
これは貴重、封筒内に家族あて手紙あり。逓送ルート解明
投函船名不明、しかし同時出品カバーから日本郵船の乗組員と判明。戦前の郵船の地中海または黒海航路就航船か? ラッキーな事に内部に手紙あり。この封筒の詳細判明。
スエズ通過後ポートサイドで手紙投函予定がスケジュール確認するとイスタンブール投函が日本に早く判明。トルコイスタンブール港にてパツクボー扱いにて家族宛て投函されたカバーである。
1937年 もう1通のカバー
少し前1937年イスタンブール投函同様の宛名カバー入手。このカバーとの違いは?料金4銭、消印shimonoseki赤いPAQUEBOT印なし。1937.4.1.料金改正国内封書4銭となる。
なぜ下関欧文印、赤いPAQUEBOT印で消印されているのか?
この部分が価格無制限でカバー入札し入手した理由である。
イスタンブ-ル1935.8.20.中継印。パツクボー証示印なし。VIA SIBERIAの書き込みあり。
3銭切手には1936.9.6.の欧文印SHIMONOSEKIの消印。赤のこの時代特徴的な下関のPAQUEBOT印。
(通常この赤のPAQUEBOT印青島で投函された郵便に見られる)
データー確認
料金は封書3銭国内便と同料金。国際便扱いでは10銭。日本切手手持ちあれば3銭のみPAQUEBOTの便利な点。
ルートはイスタンブールから多分ポーランドのワルシャワでシベリア鉄道接続、極東へ。ハルピンから大連へ。
その後大連 青島 上海航路の船で青島日本局へ。青島港から門司港へ。対岸の下関国際交換局で開袋消印後国内群馬県に逓送されたと思われる。長い17日の旅である。シベリア鉄道でウラジオストク経由敦賀と言う経路もあるがこの場合は下関の消印かこのルートが判明した。
CHAT GTPで逓送日数を推測する
1936年における手紙の逓送日数を推測するために、当時の交通手段の速度やルートの長さを考慮に入れる必要があります。以下は、提供されたルートに基づいて、各区間の推測される逓送時間です。
- イスタンブールからワルシャワ: 1936年当時、鉄道での移動が主であったため、この距離を鉄道で逓送する場合、約3日から4日かかったと推測されます。
- ワルシャワから極東(シベリア鉄道経由): シベリア鉄道は当時でも最も長い鉄道ルートの一つで、全行程を移動するのに2週間前後かかるとされています。
- ハルピンから大連: この短い区間は列車で1日以内に移動可能です。
- 大連から青島までの船旅: 海路での逓送は比較的遅く、数日かかることが一般的です。この区間で約2日から3日を見積もります。
- 青島から上海航路の船: 同様に、この海路も2日から3日を見積もります。
- 青島から門司港: ここも船での移動が主で、3日から4日程度かかると見積もります。
- 門司から下関、そして群馬県までの国内配送: 国内の鉄道と郵便システムを利用すると、約1日から2日かかると推測されます。
これらの各区間を合計すると、手紙がイスタンブールから群馬県に到着するまでの総逓送日数は約24日から30日程度となります。これは、当時の交通技術、特に鉄道や船舶の速度、国際および国内の郵便ルートの効率に基づく推定です。
ちょつと不満、逆に17日入力して推測
1936年に17日でイスタンブールから群馬県までの封書が到着した場合、それぞれの区間での移動時間が想定よりも速かったと考えられます。それを踏まえて、もう一度推定してみます。
- イスタンブールからワルシャワ: 高速列車を使用しており、2日で到達。
- ワルシャワから極東(シベリア鉄道経由): 最速のルートを利用して、シベリア鉄道を通じて10日で到達。
- 極東(ハルビン)から大連: 短距離のため1日以内で到達。
- 大連から青島: 高速船を利用して1日で到達。
- 青島から日本(門司港)まで: 同じく高速船で2日で到達。
- 門司から群馬県までの国内配送: 国内の鉄道ネットワークを利用して、1日で最終目的地に到達。
合計して、このように最速の輸送手段を利用した場合、イスタンブールから群馬県までの封書が17日で到着することが可能です。各段階で最も効率的かつ迅速な手段が選ばれたことが前提です。この推測は、当時利用可能な最速の鉄道と船便を考慮に入れたものです。
VIA SIBERIAで経路判明する
VIA SIBERIA記載あるカバー多いがなかなかルート詳細は判明しない。このカバーはナイス下関PAQUEBOT印である。逓送ルート解明できる貴重なカバーである。