PANAMA CANAL 絵はがき

Panama Canal map 船の絵葉書

パナマ運河カバー収集していたら、自然に絵はがきも集まって来た。

切手展用subで16リーフ 1フレーム分アルバム作成した。

Panama Canal map

トップページ地図、右側が太平洋側バルボア港パナマシティ。左側が大西洋クリストバル港コロン。人口湖ガッン湖、工事最難関のクリブラカットも山の縦割り図でよく分かる。

下のはがきはコロンのフロント通り。パナマまで鉄道の終点駅。線路から右側がキャナルゾーン クリストバル港。列車の左側がパナマ コロンの街。まさにフロントストリートです。

ペドロミゲルよりパライソの風景に仏国船内印記念消し。1908年3月3日コロンより仏国セントナザーレNO.2

工事開始前、小さな住宅が見える。

下のはがき、パナマ鉄道より見た同じ場所の工事風景。運河を見て右に大きく曲がりこむ場所はパライソ付近しかないので場所特定できた。

完工間近のミラフローレスロック内。工事中しかロック内のダイナミックな風景は見られない。仏国撤退後このような閘門式運河となり、その際重要部ロック内工事の様子がよくわかる。

下のはがきは、鳥瞰図完工後を満たした風景とあまり変わらない。

ペドロミゲルの工事の様子がよくわかる。1900年初頭あまり機械もないが大型クレーン使用している。

ガッツンロックゲイト。ゲイトは後付けで取り付けたのがよくわかる。

ペドロミゲルロック工事の様子。小型クレーンとセメントでロック作成過程がよくわかる。

サンパブロでの蒸気シャベル。鉄道路線を敷設、蒸気機関車の蒸気を利用したシャベルで初期の機械力投入、人力よりは効果があったと思える。海上からの掘削にも蒸気シャベルを利用している。

稼働中の路線移動。掘削が終了したら線路を移動有効に蒸気シャベルを利用している。やはり大型工事は人力より機械力である。

最大の難所クレブラカットの工事。岩盤が硬いこの区間の工事は難航したようだ。ガッン湖から流れていた河はこの小さな山脈の北側を流れ、まさにこの部分のみ人間の力で作成した運河である。爆薬を仕掛けて岩石を爆破したが、岩盤の硬さから難航したようだ。運河開通後も横幅拡張のため工事は継続された。

ガッンロック内通過船。1914年8月15日開通後多くの船が利用した。幅110フィート約34メートル。この時代船幅ぎりぎりのパナマックスという船はなし。横幅にも余裕がある。

クレブラカットの観光客。開通後は観光客に人気があったようで、多数の人が見える。現在は3か所各ロックに観光用展望室があり、この様な運河内立ち入りはできない。クレブラカットも山頂のハイウェイ沿いから下を眺めるようになっている。

べドロミゲル内の軍艦。パナマ運河は開通と同時に軍事上の重要拠点となり、米国は海軍陸軍空軍の基地を設置した。また軍艦通過も多い。第二次世界大戦時、日本軍は潜水艦から航空機発進大西洋側ガッンロック破壊工作を計画したが幻に終わった。

エンパイヤーの機械整備工場。大型機械利用当然整備工場も必要だった。仏国がパナマ建設工事から撤退その跡地が有効に利用された。仏船内印記念印、コロンからボルドーNO.3。

下のはがきは、ガッン湖の水を排出する調整ダム。雨季は大量の雨のため、運河通過船利用の水を落下するだけでは、人口湖が満杯になるので調整用ダム建設されている。運河の影の働き者施設。

クレブラカットの軍艦。下のはがき点線部分掘削部分。硬い岩盤難工事部分想像できる・

クレブラカット航行一般商船。大阪商船かなだ丸の船影も見られる。下は昔懐かしいグレースライン新造船。

ペドロミゲルロック全景。月明りのミラフローレスロック。太平洋側の2個のロック。

船は太平洋側バルボア港沖を右舷に見て通過。ミラフローレス ペドロミゲルロック通過。ロックで水を満たして3ロック通過移動山登り。ガッンレベルまで上がり狭いクレブラカット通過。ロック以外は一方通行。ガンボア機械修理工場沖ガッン湖に入りスピードアップ1時間半でガッン湖ロックへ。その後大西洋レベルまで降下、クリストバル港を右舷に見て通過。防波堤を超えればそこは大西洋パナマ通過終了です。待ち時間等入れて通常8-10時間で通過できます。