赤い特徴のあるPAQUEBOT印の下関揚げカバーです。手持ちすべてのカバーが中国青島で投函されています。
青島航路日本寄港地は、門司神戸ですがこのあたりの事情判明しません。どなたかご教授ください。
門司局より下関局が大きかったためか、また外国交換局のためか?
大阪商船 日本郵船 原田汽船 東亜海運より しあとる丸 ばいかる丸 泰山丸 原田丸 嘉義丸 日光丸が就航しています。
なぜ門司局でなく下関局が使用されたか。
1.推測ですが外国局交換局である。
2.特殊なパツクボー便の取り扱い多数の郵袋が中国青島より到着する。
3.地理的に近い。
現地に行ってみると判明するが門司港から下関唐戸までは連絡通船があり門司局へ持ち込みより距離的にも近い。
中国在留民の郵便サービスとして青島経由の郵便は現地日本局で郵袋に詰められ日本船で運ばれ外国交換局である下関局で開袋PAQUEBOT印押して日本各地に配達された。
この時代少量であるが門司PAQUEBOT印の郵便も見られる。門司寄港日本船内で投函され郵袋に詰めらてなく、代理店員が門司局に手渡し揚げしたものと思われる。