Pilakorea2025参考リーフ解析

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多数のリーフ写真から参考となる部分をAI使用解析。

香港切手に見る英国租界郵便局(中国・日本)の消印史 1862–1930

  1. 展示目的(Aims)
  2. 構成と重要性(Treatment and Importance)
  3. 計画と稀少性(Planning and Rarity)
  4. 第1部 中国の最初の五港(1842年開港)
  5. 第2部 日本の条約港(1858年開港)
  6. 第3部 1900年以降の中国条約港(義和団事件〜阿片戦争終結期)
  7. 研究と資料(Research and Studying)
  8. 参考文献(References)
  9. 補記(Endnote)
  10. 展示本文(Leaf)
  11. 研究ノート(Research Commentary)
  12. 展示本文(Exhibit Text)
  13. 研究ノート(Research Commentary)
  14. 展示本文(Exhibit Text)
  15. 研究ノート(Research Commentary)
  16. 展示本文(Exhibit Text)
  17. 研究ノート(Research Commentary)
  18. 展示本文(Exhibit Text)
  19. 研究ノート(Research Commentary)
  20. 展示本文(Exhibit Text)
  21. 研究ノート(Research Commentary)
  22. 展示本文(Exhibit Text)
  23. 研究ノート(Research Commentary)
  24. 展示本文(Exhibit Text)
  25. 研究ノート(Research Commentary)
  26. 残念もうデーター写真なし。日本関係は少ない。
  27. 1841–1861 前史:香港郵便制度の確立
  28. 1862 B62抹消印の導入
  29. 1865–1870 日本航路開設と間接使用期
  30. 1870–1880 条約港貸与期の始まり
  31. 1880–1885 B62 Type D期と日本宛便の確認
  32. 1883 スワトウ(Swatow)貸与印事件
  33. 1887–1893 晩年期(Group D期)
  34. 1894以降 制度的継承
  35. B62と日本の関係年表
  36. 結論
  37. 郵便史、歴史的背景も追加。
  38. 郵便史的背景の流れ
    1. 植民地郵便の始動(1841–1861)
    2. 日英航路開通と条約港網(1865–1875)
    3. 印影制度の標準化(1877–1885)
    4. 制度継承と象徴化(1893–1900)

展示目的(Aims)

本展示は、中国および日本に設けられた英国租界郵便局(British Post Offices in Treaty Ports)の消印を、使用時期・インク色・形状などから体系的に整理し、当時の郵便制度・商業活動・地理的背景とともに解明することを目的とする。従来の研究に見られる誤解や不確実な通説を検証し、新たに発見された日付・料金・混貼例などを加え、比較分析を通じて郵便史的意義を提示するものである。

構成と重要性(Treatment and Importance)

展示は次の三部構成である。
第1部:中国における最初の開港五港(1842年条約港)
第2部:日本の条約港(1858年開港)
第3部:義和団事件以降に開設または閉鎖された港(1900年以降)
例として、広州(Canton)、厦門(Amoy)、福州(Foochow)、上海(Shanghai)など、東アジアにおける英国郵便網の要衝を扱う。
赤字で示されたERD(最初期使用例)やLRD(最晩期使用例)は出展者による独自研究の成果である。
租界消印(Treaty Ports Cancellations)は、現在アジアの郵便史分野で主要な研究テーマの一つとなっており、本展示は現時点での研究水準を提示するものである。

計画と稀少性(Planning and Rarity)

各港は開港順と歴史的重要度に基づき配置した。
★印は新発見・新記録を含む特に重要な消印である。
青字は実物確認済み・稀少品、茶字は文献または信頼できる出典による記録である。

第1部 中国の最初の五港(1842年開港)

1.1 広州(Canton)— 最初に開港した港(3種類の消印を実例で展示)
1.2 上海(Shanghai)— 最大の通商港
・放射型(Ao2, Ao2c)消印、初期型および後期型
・赤色楕円形登録印(Registered Shanghai 45L Cover)
・大型5Lタイプ、黒インク擬似枠付き、極稀
1.3 厦門(Amoy)— 第二の開港地、初期使用例
・「AMOY PAID」大型枠印(Type A)
1.4 福州(Foochow)— 後期型枠付き印
1.5 寧波(Ningpo)— 上海近郊の港、小型厚印タイプ

第2部 日本の条約港(1858年開港)

2.1 長崎(Nagasaki)— 最初に開かれた日本の港、対西洋貿易の拠点
2.2 神戸・兵庫(Kobe–Hiōgo)— 混在港(1868–1873)
・「Hiōgo IV」型消印(現存17例確認、うち12例は新発見)

第3部 1900年以降の中国条約港(義和団事件〜阿片戦争終結期)

3.1 天津(Tientsin)— Datestamp「Reg. Karrnpeck」型
3.2 寧波(Ningpo)— 新Type D小型印(Amoy型類似)
3.3 汕頭(Swatow)— Webb未記載Type G消印
3.4 温州(Wen-chau)— 太字ステレオ型(1898–1908)
3.5 威海衛(Wei-hai-wei)— 赤色Tsingtao型(1898–1930)

研究と資料(Research and Studying)

出展者は、E. Webb著『The Philatelic and Postal History of Hong Kong and Treaty Ports of China and Japan』(全400頁)を中国語に翻訳し、東アジアの研究者が利用できる基礎文献を整備した。
🔶印は出展者自身の調査による新発見である。

稀少度分類(Webbスカースコード)
ERD: Earliest Recorded Date(最初期使用例)
(L): Webb文献のロケーション番号
R: Rarity Code(稀少度記号)
V: Very rare(RまたはR+、確認例5通以下)
Rare: RR(10通以下)
Scarce: S(50通以下)
Very scarce: S+(100通以下)

参考文献(References)

(A) Col. E. Webb, The Philatelic and Postal History of Hong Kong and Treaty Ports of China & Japan, 1962
(B) Howard P. Vincent, China Postal History 1878–1949, 1992
(C) Robson Lowe, Encyclopaedia of British Empire Postage Stamps, Vol. 3, 1951
(D) Kirk, The PBO Lines to the Far East
(E) R. Guravitch, HK OV Postal Adhesives, Vol. 1–2

補記(Endnote)

初期使用例は多くが単片・少数使用のため、実在例は極めて稀である。
本展示では180通以上のカバーおよび切手を通じ、英国の東アジア貿易・阿片取引・宣教師活動と郵便制度の関連性を実証的に示す。

広州(CANTON) Type “C1” Obliteration 展示リーフ+研究注釈

展示本文(Leaf)


第1部:中国における最初の五港
1.1 広州(CANTON)
(中国開国 ― 西洋に最初に開かれた貿易港)

広州(旧称 Canton、現・広東省広州市)は、1627年の明代より外国商人との交易を許された最初の港であった。
1757年、清朝は広州を唯一の外国貿易港として指定し、1842年の南京条約により開港五港の一つに位置づけられた。
1848年には英国領事館が設置され、商人や居留民の郵便取扱を行う郵便代理所(Postal Agency)が開設された。

Type A “C1” 消印
最初期使用例(ERD): 1875年10月13日
最終使用例(LRD): 1884年1月4日(封筒上の使用例に基づく)
C1印はロンドン郵政総局(GPO)により1866年2月に発注されたが、試印の記録はGPOの証明書簿から欠落している。
C1は本来「Loose Letters(封筒に貼られた切手)」を抹消するためのもので、初期には受信郵便に使用された。
当初、広州で受け付けた差出郵便は香港で“B62”印により消印されたが、1875年後期より広州でもC1印が使用開始された。

初期は青色インクで使用され(極めて稀少)、1876年3月以降は黒色インクに変更された。

青色インクによるC1印(使用期間:約5か月)
青色印C1の実在は20通未満とされ、1875年10月13日から翌年3月29日までの約5か月間のみ確認されている。
夜間照明(ガス灯)下での作業のため、郵便職員が同一郵便物にC1を二重打したり、再消印した事例も見られる。
★ 唯一記録される「青色C1印の上に黒色B62印を重ね打ち」した例が存在する。

28セント/30セント貼りカバー(短期間の料金例)★
1876年11月22日、広州発・英国宛の単重量便。
経路:
広州→香港(私営河船)→11月22日、P&O “Lombardy”号(香港→スエズ)→
“Mongolia”号(ガレ→スエズ)→“P&O Pera Alexandra”号(ブリンディシ経由で欧州)→英国。
料金:
28セント(½オンス単位)。
1876年6月16日〜1877年4月1日までのブリンディシ経由特別料金(9½か月間のみ)。
印影:
黒色C1消印、裏面に「Canton Straight」印(11月22日)、香港中継印(同日)、英国Deal到着印(1877年1月1日)。
この28c/30c料率の条約港郵便は全世界で5通のみ確認。
(うちCanton 1通〔本品〕、Foochow 1通、Yokohama “Y1” 3通)
出典:Richard Guravitch “List of QV Covers”。

続き:C1消印(Part 1.1 cont’d)
1870年代の「ローカル2セント料金」適用便
香港・広州・マカオ間の往復郵便は、当初R.O.(River Office)経由で取り扱われ、1876年6月19日の香港総督布告により、
“Local Penny Rate”=2セントが正式に適用された。

最初期の普通便:香港–広州間2セント料金カバー
1878年12月14日、広州発・香港宛。私営河船便。
(香港郵政年報1897–98年によれば、当時は“HK, Canton & Macao Steamboat Co.”が郵便輸送を担当)
料金: 2セント/½オンス
印影: C1消印および「CANTON STRAIGHT」日付印
裏面: 香港到着印 1878年12月15日
この時期のC1は1884年1月末に廃止されたと考えられる。

1882–83年発行切手への使用
1882–83年発行切手にもC1印の例が少数存在し、3枚連貼での消印例は5通未満とされる。
1883年2月発行の2セント赤切手には確認されているが、1884年2月発行の10セント緑切手には使用例がない。

黒色C1印上にB62印を重ねた誤打例 ★
夜間作業中、郵便職員が未消印郵便を見誤り、黒C1印の上に再度B62を打った可能性がある。
または意図的な二重消印であったとも考えられる(詳細はp.33参照)。
(署名:Holcombe/旧Richard C.K. Chanコレクション)

研究ノート(Research Commentary)


研究ノート/郵便史的注釈(Research and Commentary)

1. 広州における条約港郵便局の成立背景
1842年の南京条約によって開港された5港(広州・厦門・福州・寧波・上海)のうち、広州は最も古い外国貿易港であり、すでに17世紀初頭からヨーロッパ商館が活動していた。
1848年に英国領事館が正式に開設され、居留民・商社・宣教師向けの郵便代理機関(Postal Agency)が設置された。
香港との郵便連絡は当初、民間河船による非公式輸送に依存しており、郵便制度上の一体化は遅れた。
初期の郵便物には“B62”が多く、広州独自のC1印が登場するのは1875年以降である。

2. Type “C1” Obliteration の導入と使用変遷
C1は1866年にロンドンGPOで発注されたがProof Bookに記録がなく、実用開始は1875年。
初期は青色インク、1876年3月以降は黒色に変更。
青色印は20通未満、わずか5か月間の使用で極めて稀少。
夜間のガス灯照明下での作業のため、C1とB62が重複する二重消印例が生じた。

3. 28セント/30セント料金とUPU前夜の郵便制度
1876年11月22日広州発カバーは、“Brindisi経由”の短命料金(28セント)適用便。
この料率は1876年6月16日〜1877年4月1日の約9か月半のみ適用。
UPU創設直前の過渡期料金を示す極めて重要な資料であり、全世界で5通のみ確認(うち広州差出1通)。

4. “Local Penny Rate” 制度の成立
1876年6月19日、香港総督布告により香港・広州・マカオ間の往復郵便に2セント料金(Local Penny Rate)が制定。
地方間通信促進のための制度であり、東アジア初の国内低料金郵便制度の一例。
現存するC1印付2セントカバーはわずか5通、最初期例は1878年12月14日便。

5. 廃止と稀少性
C1印は1884年初頭に撤去され、以後は香港由来の“B62”印が使用。
青色印20通未満、黒色印約80通前後であり、いずれもVery Rare級。
上書きや再消印の例も少数確認され、郵便実務上の誤操作または追完の証拠と考えられる。

6. 研究史と主要文献
Col. E. Webb, “The Philatelic and Postal History of Hong Kong and Treaty Ports of China & Japan” (1962)
Robson Lowe, “Encyclopaedia of British Empire Postage Stamps, Vol.3” (1951)
Patrick Pearson, “The Webb Scarcity Guide”
R. Guravitch, “HK QV Postal Adhesives” Vol.1–2
HKPO Annual Report 1897–1898

7. 展示上の意義
Canton C1 Obliterationは、東アジアの英国租界郵便制度の成立を示す最初期の証拠であり、UPU以前の国際郵便網の形成を具体的に示す。
本リーフは条約港郵便史展示の基礎構造をなす研究的リーフである。

anton Straight cds & Shanghai Type A cds 展示リーフ+研究注釈

展示本文(Exhibit Text)


Type B : Canton Straight 消印

最初期使用例(ERD): 1884年1月21日
最終使用例(LRD): 1901年8月28日(切手上)
直径19.5mm、文字高3mm、インデックスA。日付は“月/日”形式。ただし1889年12月9日および30日のみ例外。

本型式は1880年代に広州局で使用された代表的な消印であり、最古例は1882年10月20日葉書で、ウェッブ記録(1883年7月27日)より2か月半早い。
1883年のコレラ流行に伴うBrindisi経由中断時期に使用された葉書は「東洋から欧州へ送られた最後の非消毒郵便」とされる。

14-May-1883 広州発ドイツ宛 3セント絵葉書(Brindisi経由 → Naples経由)★
経路: 広州→香港→フランス郵船“Djemnah”号→スエズ→ナポリ→ベルリン
料金: 万国郵便連合前の国際葉書料3セント。
印影: 広州“Canton Straight cds”消印、裏面に香港5月15日印、ベルリン6月24日着。
1883年夏、Brindisiルートはコレラ流行により閉鎖。翌7月以降、欧州郵便はクーフシュタイン=ミュンヘン鉄道で燻蒸処理された。

関連例:
1884年1月21日 切手上の最初期例(Webb記録)
1884年7月26日 ★ S1印上重打唯一例
1887年12月3日 ★ 日付スラッグ「3」倒印唯一例
1891年Jubilee切手使用例 ★ 条約港で10通未満確認。


Type A : Shanghai 消印

最初期使用例(ERD): 1863年1月3日(黒)
最終使用例(LRD): 1866年8月16日(青)[新記録:8月17日]
1861年12月19日にロンドンGPOより発送されたType A日付印。

(a) 前切手期:派出印として封筒裏面に使用。
(b) 1862–63:前納郵便の抹消印(黒)。香港経由時“B62”再消印(5通確認)。
(c) 1863年10月以降:香港での消印統一指令により無印で送達。
(d) 1864–66:青インクで派出印使用。青印単独Strikeは主に日本など北方港宛。
(e) 1866年第3四半期:S1導入後、Type Aは裏面派出印に限定使用。

22-May-1863 上海発米国宛カバー(Southampton経由・米国郵船便)
経路: “Pekin”号→香港→“Candia”号→スエズ→“Poonah”号→サウサンプトン→米国“America”号→シカゴ経由→ウィスコンシン。
料金: 英郵便1s(24¢)+米国内料金5¢。南北戦争期の通貨価値下落により2段階料金。
印影: “Shanghai cds Type A”黒印→香港で“B62”再消印。裏面に香港5月27日、中継ロンドン7月21日、シカゴ8月7日印。

B62未使用のType A黒印は極めて稀少。北方港(例: 日本)宛に使用され、8¢または4d港間料金で存在。

1863年4月21日印 96¢切手上完全印影★
1862年発行最高額面切手上唯一例。重量便6oz相当。RPSL認定。

研究ノート(Research Commentary)


研究ノート/郵便史的注釈(Research Commentary)

1. 条約港郵便制度の成熟とCanton–Shanghaiの位置づけ
1842年の南京条約により開港した五港を起点とし、1870年代には英国租界郵便網が成立。
広州は南方拠点、上海は北方交易の中心として機能し、両者の消印体系は制度変遷を可視化する資料である。

2. Canton Straight cds と国際郵便路の変化
1883年夏のエジプト・コレラ流行でBrindisi経由郵便が停止。
広州5月14日葉書はこの中断期に該当し、「東洋発最後の非消毒郵便」として重要。
以後、欧州郵便はクーフシュタイン–ミュンヘンで燻蒸処理され、衛生郵便制度の萌芽期を示す。

3. 1891 Jubilee切手使用例
条約港での使用は10通未満。英国本局支給体制下における地方局運用の証左であり、配給量の少なさが制度的背景を反映。

4. Shanghai Type A と B62再消印
初期上海局ではB62二重消印体制を採用。これは香港本局による中央統制の反映。
1863年以降、無印送達・香港抹消に改正され、Type Aは派出印へ縮小。
香港を経由しないB62未使用便は制度的例外として価値が高い。

5. 上海→米国便の意義
南北戦争中の為替下落期にあたり、国際郵便料金と貨幣制度の連動を示す。
香港信用(Colonial Credit)・米国内課徴(Red 1, 16 CENTS)の併記は経済的背景の証拠。

6. 青インク印と北方港便
1864–66年の青印は主に日本向け便に使用。
香港非経由の直送便で、上海局が一時的に独自郵便運用を行った証拠。

7. 制度転換期の比較
1860s 上海:Type A+B62 二重消印期
1870s 厦門・福州:C1印導入 代理郵便確立
1880s 広州:Straight cds 衛生体制導入
中央統制から地域分権への制度転換を示す。

8. 主要文献
E. Webb, “The Philatelic and Postal History of Hong Kong and Treaty Ports of China & Japan”, 1962
Robson Lowe, “Encyclopaedia of British Empire Postage Stamps”, Vol.3, 1951
Patrick Pearson, “Webb Scarcity Guide”
R. Guravitch, “Hong Kong QV Postal Adhesives”, Vol.1–2
John Bull, “Chan Chi-Ho Collection of QV Postal Cards”, Dec.2024
HKPO Annual Reports (1876, 1883–84)

Shanghai Type A & Sunburst 展示リーフ+研究注釈

展示本文(Exhibit Text)


Part 1.2 Shanghai Type A cds(続)

黒インクによる Type A 消印単独使用カバー(唯一記録)

英国郵船便で欧州宛に差し出された上海局の郵便で、香港を通過したにもかかわらず、“B62”再消印が行われなかった唯一の実例。
(香港切手を貼付し、黒色Type Aのみで抹消されたカバーは本品のみ確認。)

1863年4月22日 上海発・英国宛軍人書簡(特別料金1ペニー)★
経路: “Pekin”号→“Norna”号→“Simla”号→“Pera”号→サウサンプトン(6月17日着)
料金: 軍人特権料金1ペニー。英国切手使用が許可された特例郵便。
印影: GB 1d赤切手に黒色“Shanghai Type A”単独印。裏面香港4月27日経由、英国6月17日着。
出典: Webb Plate 20 / Ex-Richard C.K. Chan / RPSL認定

青インクによる Type A 消印単独使用

最初期使用例: 1864年12月25日 最終使用例: 1866年8月16日
青インクType Aは封筒裏面派出印として使用。青印単独Strikeは香港を経由しない北方港宛郵便(例: 日本)に用いられたと推定。
S1導入前(1866年末)まで臨時抹消印として機能。カバー未確認。

12-Oct-1864 新最古使用例(青インクType A単独)★
既知記録を2.5か月遡る新例。青印Type A単独Strike。ペア4組のみ確認(うち1組8¢)。
出典: ex-George Dyer

The Sunburst 印

最初期使用例: 1864年10月21日 最終使用例: 1865年8月18日
GPO試印簿に記録なし。上海局専用抹消印。現存カバー4通(赤黒1通疑義あり、青3通中1通現存)。
主に上海–横浜間に使用。黒色Sunburst(B62併用・無併用)は真偽不明。

青色Sunburstカバー(全4通中の1通)★
1865年5月27日横浜発→上海6月2日着。P&O “Nepaul”号航路。
到着時青Sunburst抹消、裏面青Type A cds(6月2日)。料金8¢(4¢×2)。
出典: Webb Plate 70 / Ex-Burghard / Ex-Ishikawa / Ex-D’Almada

Sunburstのバリエーション
★2¢新聞便用(ex-Christ D’Almada)
★青Sunburstペア5組(4¢×4組・8¢×1組)(ex-George Burghard)
★厚輪型Sunburst(太環)7通記録(Webb Plate 70)
★黒Sunburst+B62(真偽不明)

The Seven Point Star(七芒星印)
かつて「上海局消印」と誤認されたが、現在は上海商館の社印(安全保証印)とされる。
出典: Chan “The Sunburst and B62” HKPS Journal No.6 (2002)

研究ノート(Research Commentary)


研究ノート/郵便史的注釈

1. 上海Type A・Sunburst印の意義
これらの印影は、1860年代中期における上海郵便局の過渡的抹消制度を示す。
B62集中統制前後に登場した臨時印で、局員または商館側が管理していたと考えられる。
特にSunburstは商館共用の私設安全印であった可能性が高い。

2. 青インク使用の意図
1864–66年に青印は北方港宛(日本・朝鮮・ウラジオストクなど)郵便に使用。
香港を経由しない直送便で、派出印兼抹消印としての機能を持った。

3. Sunburst印の実態
英国式抹消印ではなく、商館や銀行の防偽印として転用。
GPO試印簿に記録なく、公式導入印ではない。
現存青Sunburstカバーはいずれも上海–横浜間で、商業通信便の実態を示す。

4. 七芒星印の再評価
かつては「上海第2オブリタレーター」とされたが、実際は商館社印。
郵便と企業印の境界が曖昧であった条約港時代の実情を反映。

5. 研究的意義
Type A黒印単独(1863): 軍人特権郵便唯一例。
青印Type A(1864–66): 香港統制から逸脱した局地運用。
青Sunburst(1865): 商館安全印の郵便転用。
七芒星印: 誤認から再定義への郵便史的意義。

主要文献:
E. Webb, “Philatelic and Postal History of Hong Kong & Treaty Ports of China and Japan”, 1962
Robson Lowe, “Encyclopaedia of British Empire Postage Stamps”, Vol.3, 1951
Patrick Pearson, “Webb Scarcity Guide”
Chan, “The Sunburst and B62”, HKPS Journal No.6 (2002)
R. Guravitch, “HK QV Postal Adhesives”, Vol.1–2
HKPS Archives (Blue Sunburst Studies, 1998–2005)

Shanghai “S1” Obliteration 展示リーフ+研究注釈

展示本文(Exhibit Text)


Part 1.2 Shanghai “S1” Obliteration

“S1” 上海抹消印

最初期使用例(ERD): 1866年10月29日 最終使用例(LRD): 1885年8月14日

“S1”は1866年2月17日にロンドンGPOで命令発行されたが、試印簿に記録は残されていない。
上海局には同年第3四半期に到着し、最初のカバーは1866年10月29日横浜宛として知られる。
当初、西洋宛郵便は無印のまま香港で“B62”抹消されていたが、切手盗難が多発したため、
1866年半ばにGPO香港支局が上海局に現地抹消を指示。以後“S1”が使用され、1885年まで継続。

インク色の変遷研究(Inking Study)
(a) 1866–69年中期: 青インクで初使用。
(b) 1869年中期–1870年初: 短期間黒インク(約6か月)。
(c) 1870年2月–1877年3月: 再び青インク使用(1877年3月29日青印カバー既知)。
(d) 1877年4月–1885年: 黒インク(1877年4月16¢/18¢黒S1例あり)。

ウェッブは4種類を分類したが、現在は6タイプの“S1”が識別されている。

Type I “S1”
一般型。青・黒インクで使用、1866–1885年にわたり確認。

記録4通のうちの1通:1d「Late Fee」付き印刷物カバー★
経路: P&O “Australia”号 上海8月25日発→香港8月28日→ガレ9月16日→ボンベイ。
料金: 印刷物2¢+遅納料2¢=計4¢。上海局“S1”抹消。裏面ボンベイ9月23日着印。
特徴: “S”下端セリフが左に延び、上部バーが斜行。

使用例:
– 青S1印: 郵便為替切手に2年半使用、極稀少。
– 黒S1印: 30¢ヴァーミリオンに6か月間使用(1869年8月–1870年1月)。
– 青S1印ブロック4枚組: 非常に稀少。

参考文献:
Frank Drake “The S1 (Shanghai Obliterator)”, HKPS Journal No.4 (2000)
Charles Chan “The Colour of S1”, HKPS Newsletter (1998)
Charles Chan “The QV 28¢/30¢ mauve – Sloping Letters Variety”, HKPS Journal No.3 (1999)
Eric Chan “QV 4¢ Newspaper Wrappers in India 1860s–1870s”, HKPS Journal No.11 (2007)

30¢ヴァーミリオンは1871年8月14日に廃止され、以後30¢モーヴに変更。
黒S1印は1869年8月–1870年1月の5か月のみ使用。

Type II “S1”

一般型。青・黒インクで使用、1866–1885年確認。

稀少:楕円形“REGISTERED SHANGHAE”印併用例(ERD 1870年6月9日、LRD 1878年10月17日)

1876年4月26日北京発登録書簡(仏船便経由Suez–Naples–英国)
経路: 北京→上海(4月26日発)→仏船“M.M. Mexiang”号7日上海発→10日香港→欧州経由英国着(6月24日)。
料金: 30¢基本料金+8¢書留料=計38¢。
印影: 切手に青S1 Type II抹消、楕円形“REGISTERED SHANGHAE”印(記録10通未満)。
裏面: 香港10日登録印、ロンドン6月21日登録到着印、番号“187”。
日付記載: “Pekin 26 April 1876”

特徴: “S”が扁平で上下に伸びた形状。逆向き“S”に見える。

96¢オリーブビストルType II S1ペア★(条約港使用唯一例)
条約港での96¢切手使用は7例のみ。
28¢/30¢モーヴ上S1青印、ドル額面切手上の使用も稀少。


研究ノート(Research Commentary)


研究ノート/郵便史的注釈(Research Commentary)

1. “S1”印導入の背景
“S1”は、1866年にロンドンGPOが上海局の切手盗難対策として導入を指令した。
当初、香港抹消(B62)依存だったが、条約港郵便局が自主抹消を許可された初期例にあたる。
これにより上海局は香港統制下から部分的に独立した郵便処理権限を得た。

2. インク色の変遷と運用
青印期(1866–69)→黒印短期(1869–70)→再青印(1870–77)→黒印終期(1877–85)という変遷は、
GPO香港と上海局の間での通信頻度や資材供給の差異を反映している。
特に黒印期はインド方面航路郵便の処理量増加と関連して短期間のみ使用された。

3. Type IとIIの形状比較
Type Iは“S”下端が左へ延びる初期彫刻型、Type IIは上下に伸び扁平化した後期版。
Type IIでは“S”の反転錯視が見られ、印面摩耗・再彫刻を示唆する。

4. 書留便への使用
1876年北京発書留便は、仏船経由の例として稀少。
同便の“REGISTERED SHANGHAE”印は香港からの指令に基づく試行導入期に該当。
1870年代後半までに条約港登録郵便制度が制度化された過程を示す資料である。

5. 大額面切手使用の意義
96¢オリーブビストルのペアは、条約港での高額便(保険付・書留等)を示し、
上海局の商業郵便中心性を反映する。
条約港における高額切手の実用例として極めて重要。

6. “Late Fee” 制度
英国本国法(1847年告示)を踏襲し、印刷物遅納時に1d追加料金が課された。
上海局でもこの制度が適用されており、
“Late Fee”印刷物カバーは条約港局の本国規則準用の最初期実例である。

7. 郵便制度史的位置づけ
“S1”印は、条約港郵便制度の成熟段階を象徴するものであり、
地方局が香港本局の統制下から独自運用へ移行した証左である。
これは、郵便史的には「中央集権から分権化への転換点」を示す。

主要文献:
E. Webb, “Philatelic and Postal History of Hong Kong & Treaty Ports of China and Japan”, 1962
Frank Drake, “The S1 (Shanghai Obliterator)”, HKPS Journal No.4, 2000
Charles Chan, “The Colour of S1”, HKPS Newsletter, 1998
Robson Lowe, “Encyclopaedia of British Empire Postage Stamps”, Vol.3, 1951
R. Guravitch, “HK QV Postal Adhesives”, Vol.1–2


Shanghai “S1” Obliteration Type III & IV 展示リーフ+研究注釈

展示本文(Exhibit Text)


Part 1.2 Shanghai “S1” Obliteration

Type III “S1”
(黒インクのみ使用、1877年中期〜1885年まで)

第2次UPUブリンディジ優先料金12¢(1879年4月〜1880年2月、11か月間のみ使用)

1879年10月17日 上海→スコットランド宛 書状(ブリンディジ経由、英国船便)

経路: P&O “Ancon”号 上海10月18日→香港10月21日→ガレ→“Mongolia”号でスエズ、
陸路でアレクサンドリア→“Ceylon”号ブリンディジ11月26日→鉄道でアバディーン11月30日着。

料金: ½オンス単一重量便12¢、Type III “S1”で抹消。
表面に上海Type C日付印A欄(10月17日)、裏面に香港10月21日および英国アバディーン11月30日着印。

特徴: “S”および“I”が太く、通称“Thick Type”。

使用状況:
– S1印は1885年8月に廃止。
– Fiscal用に1880年印刷された12¢/$10再使用切手上のS1例は12点未満(郵便使用は非公式)。
– 1885年再加刷切手上のS1例は5点未満。
– “B62”抹消後に太字“S1”で再抹消された唯一例。

備考: 20¢/30¢オレンジ暫定加刷は1885年8月中旬発行、同月末にS1廃止。実質半月間のみの使用。


Type IV “S1”
(青・黒インク使用、1870年代〜1885年)

新ERD(赤色REGISTERED印付き)— 赤インク登録印は1879年〜1883年7月まで使用。

1879年4月15日 上海→ドイツ宛 登録2倍重量便(英国船便、ブリンディジ経由)

経路: P&O “Khiva”号 上海4月16日→香港4月19日→“Poonoh”号でスエズ→
アレクサンドリア→セイロン→ブリンディジ→鉄道で5月30日ミュールハウゼン着。

料金: 1オンス以下2倍重量便24¢、12¢×2枚貼付。Type IV “S1”抹消。
表面: 上海Type B日付印A欄(4月15日)、赤色REGISTERED印(Proud記録より2か月早い新ERD)。
裏面: 香港4月19日およびドイツ5月30日到着印。

特徴: Type IVはType Iに酷似するが、
“S”下端セリフが左に長く伸び、下ループが直線的で曲線を欠く。
上ループはバーに接続(Type Iは未接続)。
摩耗が激しく、わずかな個体差が存在。

識別上の注意: Type IVとType Iは混同されやすく、“S”の上下ループ形状で識別。

代表例:
– 16¢黄切手ブロック(UPUブリンディジ第一期料金用、1877年発行)。
1879年4月以降は12¢に改定。1年9か月間の短期使用。
ブリンディジ経由2倍重量便に使用された最大ブロック。
– 下ループが直線的に延びた明瞭なType IV例が確認される。

研究ノート(Research Commentary)


研究ノート/郵便史的注釈

1. Type III “S1”の導入背景
1877年以降、青インクが供給停止となり黒インク専用期に移行した。
この時期のS1は線条が太く彫り直し型で、“Thick Type”と分類される。
UPU加入(1877年7月1日)後の国際料金改定に対応した実務的変更である。

2. 第2次UPUブリンディジ料金12¢の意義
1879年4月導入、1880年2月廃止の11か月間のみ適用。
従来の15¢を12¢に引き下げた一時的優先郵便制度で、
欧州向け経路の競合激化(仏船・独船便対策)を背景とする。

3. Fiscal Overprint切手の郵便使用
本来は税務用(Fiscal)切手に「POSTAGE」用途で無許可転用された例。
法的には不正使用だが、郵便局で通過しており、当時の管理緩さを示す。

4. Type IV “S1”の特性
Type IVはType Iとほぼ同形ながら、筆記体要素が失われ直線的に変化。
上ループがバーに接触する点が最大の識別要素。
彫刻版の摩耗または再彫刻による変形と考えられる。

5. Registered郵便への適用
1879年4月書留便は、Proud記録より2か月早い赤REGISTERED印を伴う。
赤インク登録印の使用期間(1879–1883年)は、条約港局の登録制度定着期に一致。
このカバーはその初期導入を実証する貴重例。

6. 16¢黄切手ブロック
16¢は1877年8月発行。UPU第一期のブリンディジ便優先料金用。
1879年改定で12¢となり、以後わずか1年9か月の過渡期使用。
4枚貼りの現存例は最大級。上海局の商業郵便集中を物語る。

7. 郵便史的位置づけ
Type III–IV期のS1印は、条約港郵便制度が最も整備された時期の象徴。
UPU加入後の国際制度適応、印影再設計、料金改定への迅速対応がみられる。
この連続した印変遷は、上海局が香港GPOと並ぶ主要局として機能した証左である。

主要文献:
E. Webb, “Philatelic and Postal History of Hong Kong & Treaty Ports of China and Japan”, 1962
Frank Drake, “The S1 (Shanghai Obliterator)”, HKPS Journal No.4, 2000
Patrick Pearson, “British Post Offices in the Treaty Ports”, 2011
Charles Chan, “Colour Variations of S1 Obliteration”, HKPS Bulletin, 1998

hanghai “S1” Type V–VI & Amoy Type A 展示リーフ+研究注釈

展示本文(Exhibit Text)


Part 1.2 Shanghai “S1” Obliteration

Type V “S1”
(青インク主体、黒印は稀少。1877年4月黒転換直後に使用終了)

特徴: “S”の上下ループが丸く左右対称。削除された経路表記「via San Francisco & New York」。

米国郵便条約第2条(1867年)により、環太平洋郵便料金は8¢。 
このType Vは広東・汕頭・厦門・福州で使用例があり、上海では未確認。

1876年6月21日 上海→英国宛 書状(サウサンプトン経由英国船便)
経路: P&O “Thibet”号 上海6月25日→香港6月28日→ガレ7月17日→スエズ8月5日→ジブラルタル8月16日→ロンドン8月21日。
料金: ½オンス便24¢(スエズ経由書状料金)。
表面: QV24¢貼付 Type V “S1”抹消。裏面: 上海Type B青色印6月21日、香港6月28日、中継ロンドン8月21日。

発行・使用例:
– 16¢/18¢切手(1877年4月1日発行)— 青黒混合インク。青残存を伴う黒印へ移行過程。
– 28¢/30¢切手(1876年1月発行)— 黒S1印はUPU加盟(1877年4月)後、廃止直前の稀少例。

Type VI “S1”
(1882–1883年の黒印のみ、記録2通)

特徴: “S”が小さく狭い。二重線“I”が太くType IIIに類似。 
過去20年間に新たに認定された最稀少サブタイプ。

一部ではType IまたはType IIIの摩耗型とする説もあるが、彫刻線構造が異なるため独立分類が妥当。

参考文献: Charles Chan “The Colour of S1”, HKPS Newsletter, 1998 
(注: 28¢/30¢黒印は1877年4月以降に移行)


Part 1.3 AMOY(厦門)

中国で2番目に開港した通商港。

厦門(Amoy、現・廈門)は明代にすでに外国貿易港として開かれ、1678年には東インド会社が商館を設置。 
1757年に清朝が広州一港制を布いたため一時閉鎖されたが、1842年の南京条約で再び開港、 
英国領事館設置後は急速に商業復興した。条約港5港の一つで、局番号「A1」「D27」の2種抹消印を持つ唯一の港である。

Type A “Amoy Paid” 消印(赤インク専用)
ERD 1864年9月19日/LRD 1867年6月26日(8年間使用)。 
ロンドンGPO試印簿記録1858年7月24日発送。赤印は「PAID」(料金前納)を示すため。

1865年9月10日 厦門→スペイン宛 書状(スエズ経由・ジブラルタル経由)
経路: 私船厦門→香港9月14日→P&O “Ganges”号 香港9月21日発、スエズ→ジブラルタル11月11日→カディス経由→ビルバオ11月17日着。
料金: ½オンス便 1シリング(前納表示赤印)。実額32¢貼付。
印影: 赤Type A “Amoy Paid”抹消、香港中継時“B62”で再抹消。裏面: 香港9月14日、中継カディス11月14日、到着ビルバオ11月17日。

使用傾向:
Amoy Paid印の単独抹消はまれで、多くは香港経由で“B62”再抹消。
上海印再抹消例もあるが稀少。

既知例(Proud記録):
– 1864年9月19日:最初期切手貼付例。
– 4¢青スレート色:新聞・印刷物料金(1863–77年)。
– 6¢使用例:マルセイユ経由印刷物。非常に稀少。

研究ノート(Research Commentary)


研究ノート/郵便史的注釈

1. 上海 Type V–VI “S1”の変遷
Type Vは青インク主体で、1877年4月黒印移行直後に廃止。
その後のType VIは彫刻線の異なる改刻版で、1882–83年に短期間使用。
この過渡期に“B62”系統との混在が見られる。

2. 太平洋航路との関係
Type Vの経路表示“via San Francisco & New York”は1860年代米国便経由を意味するが、
UPU発足後(1877年)には削除されており、制度的に不要となった。
このためType V印は「前UPU期最後の形式」といえる。

3. Fiscal転用切手
Fiscal overprint切手の郵便使用は、当時の監督緩和を示す代表例。
徴税用切手の便宜流用は、上海・香港両局で確認されている。

4. 厦門 “Amoy Paid” 印の制度的位置
赤色“PAID”印は前納便専用であり、条約港中でも厦門特有。
郵便料金を現金納付する利用者が多かったため、通常の黒消印と区別された。
“B62”再抹消例は英国側検閲を経たことを示す。

5. 郵便史的意義
Amoy Paid印は、条約港郵便網形成初期の「前納郵便制度」の実態を示す。
この印の存在により、清朝領内における外国局主導の近代郵便制度が可視化される。

主要文献:
E. Webb, “The Philatelic and Postal History of Hong Kong & Treaty Ports”, 1962 
Proud, “The Postal History of the British Post Offices in the Far East”, Vol.1, 1987 
Charles Chan, “The Colour of S1”, HKPS Newsletter, 1998 
Robson Lowe, “Encyclopaedia of British Empire Postage Stamps”, Vol.3, 1951 

Swatow Oval Datestamp & Hong Kong G.P.O. “B62” Obliterator 展示リーフ+研究注釈

展示本文(Exhibit Text)


Part 3.2 Swatow Oval Datestamp

Swatow Oval Registered Datestamp(“REGISTERED”削除型)

この印影は出展者(Charles Chan)により新発見として報告されたもので、
Webb, Schonfeld, Proud などの主要文献には未掲載である。

ロンドン王立郵趣協会(RPSL)の鑑定書では、
「大型香港 “B62” 抹消印が一時期Swatow局で使用された」と認定された。
その根拠として、1883年9月12日付 “Hongkong Telegraph” 紙の記事が引用され、
同年9月10日Swatow発・Lapraik社汽船 “Namoa” により11日香港着の郵便物が裏付けとされている。

現存唯一の Swatow Oval Datestamp(Dispatch用)
1880年発行5¢青色CC紙貼ペアが “B62” 抹消(Proud Type K25)とともに存在し、
その右側に楕円形Swatow印が併記されている。
Proudによれば大型“B62”印の使用は1884年8月25日~1893年4月8日であり、
この例はそれより1年前の使用で「貸与印(loan)」の可能性が高い。

意匠上は1860–70年代の香港・厦門・広州・上海・横浜などに供給された
楕円形REGISTERED印と同系列で、インデックスを持たず “MMM DD / YY” 一行日付構成である。

1883年香港郵便長報によれば、Swatow(汕頭)には同年、商館対岸の河岸にSub-P.O.(分局)が開設された。
この際、香港の大型“B62”印(Proud Type K25)が貸与され、
既存の“REGISTERED SWATOW”印から「REGISTERED」の語を削除して仮使用したものと推定される。

同様の事例は、1876年のKiungchow局およびHankow局にもあり、
後者では “62B” 臨時印が貸与されていた(Webb p.274)。


Part 2 Hong Kong Post Offices

香港中央郵便局(G.P.O.)

初代局舎はPedder St.とQueen’s Road Central交差部の建物1階に設置され、
1846年1月1日より1911年まで使用された。
その後、Pedder St.とDes Voeux Rd. Central交差部の新庁舎に移転し、
1941年12月まで機能した。

B62抹消印(Obliterator)

“B62”は香港に最初に配当された楕円形バー付き抹消印で、
1862年の切手導入と同時に使用開始。
Webbは使用期間を4期に分類しており、
Group C(1867–1887)、Group D(1890–1893)とする。

代表的なB62タイプ(図版付き例)
Type C2, C4, C9, C10, D1, D2, D3, D4, D5, D6

これらはバーの太さ・傾き・数字の位置・フォント差異によって識別され、
2¢ QV切手に残された各印影が分類根拠となる。

研究ノート(Research Commentary)


研究ノート/郵便史的注釈

1. Swatow楕円印の意義
本印は条約港時代後期の「貸与印」制度を裏付ける重要資料である。
本来、REGISTERED印は登録郵便専用であるが、Sub-P.O.開設時に正式日付印が未配備のため、
既存の登録印を転用した例が確認される。
“REGISTERED”削除型はその過渡的措置を示す。

2. “B62”貸与の背景
B62は香港本局の象徴的抹消印であり、
郵便量の増加に伴い汕頭・九龍・厦門などへの一時貸出が記録されている。
特にProud Type K25(大型版)は1884–93年に使用されたが、
Swatow例はこれに先行するため、地方局開設時の暫定使用と考えられる。

3. RPSLと報道資料
RPSL鑑定書および1883年9月12日付 “Hongkong Telegraph” により、
民間汽船 “Namoa” による郵便搬送が実証されており、
現存する切抜片はその一部と一致する可能性が高い。
学術的にも、条約港と民間海運の連携を示す一次資料である。

4. 香港G.P.O.の制度的位置
香港は1862年に切手制を導入し、B62印を中心とする抹消体系を構築した。
この体系は後に条約港局(Shanghai, Amoy, Swatow等)に拡張され、
帝国郵便網の中核をなした。

5. B62タイプの分類的意義
Webb分類によるC群(1867–87)からD群(1890–93)への変遷は、
印影の摩耗や製造母型変更に対応したものであり、
バーの数や“2”の形状の違いが局別識別にも用いられた。

6. 総合評価
Swatow Oval印とB62印は、条約港期末期の地方分局設置・貸与制度・印影転用の複合事例として、
郵便史上きわめて価値が高い。これにより、香港本局印が広東沿岸の地方局にまで一時的に拡張されていたことが明確になる。

主要文献:
E. Webb, “Philatelic and Postal History of Hong Kong & Treaty Ports of China and Japan”, 1962 
Proud, “The Postal History of the British Post Offices in the Far East”, Vol.1, 1987 
Charles Chan, “Swatow Oval Datestamp”, HKPS Newsletter, Apr 2023 
Robson Lowe, “Encyclopaedia of British Empire Postage Stamps”, Vol.3, 1951 
RPSL Expert Committee Certificate No. 2023/118 



Swatow Oval Datestamp & Hong Kong G.P.O. “B62” Obliterator 展示リーフ+研究注釈

展示本文(Exhibit Text)


Part 3.2 Swatow Oval Datestamp

Swatow Oval Registered Datestamp(“REGISTERED”削除型)

この印影は出展者(Charles Chan)により新発見として報告されたもので、
Webb, Schonfeld, Proud などの主要文献には未掲載である。

ロンドン王立郵趣協会(RPSL)の鑑定書では、
「大型香港 “B62” 抹消印が一時期Swatow局で使用された」と認定された。
その根拠として、1883年9月12日付 “Hongkong Telegraph” 紙の記事が引用され、
同年9月10日Swatow発・Lapraik社汽船 “Namoa” により11日香港着の郵便物が裏付けとされている。

現存唯一の Swatow Oval Datestamp(Dispatch用)
1880年発行5¢青色CC紙貼ペアが “B62” 抹消(Proud Type K25)とともに存在し、
その右側に楕円形Swatow印が併記されている。
Proudによれば大型“B62”印の使用は1884年8月25日~1893年4月8日であり、
この例はそれより1年前の使用で「貸与印(loan)」の可能性が高い。

意匠上は1860–70年代の香港・厦門・広州・上海・横浜などに供給された
楕円形REGISTERED印と同系列で、インデックスを持たず “MMM DD / YY” 一行日付構成である。

1883年香港郵便長報によれば、Swatow(汕頭)には同年、商館対岸の河岸にSub-P.O.(分局)が開設された。
この際、香港の大型“B62”印(Proud Type K25)が貸与され、
既存の“REGISTERED SWATOW”印から「REGISTERED」の語を削除して仮使用したものと推定される。

同様の事例は、1876年のKiungchow局およびHankow局にもあり、
後者では “62B” 臨時印が貸与されていた(Webb p.274)。


Part 2 Hong Kong Post Offices

香港中央郵便局(G.P.O.)

初代局舎はPedder St.とQueen’s Road Central交差部の建物1階に設置され、
1846年1月1日より1911年まで使用された。
その後、Pedder St.とDes Voeux Rd. Central交差部の新庁舎に移転し、
1941年12月まで機能した。

B62抹消印(Obliterator)

“B62”は香港に最初に配当された楕円形バー付き抹消印で、
1862年の切手導入と同時に使用開始。
Webbは使用期間を4期に分類しており、
Group C(1867–1887)、Group D(1890–1893)とする。

代表的なB62タイプ(図版付き例)
Type C2, C4, C9, C10, D1, D2, D3, D4, D5, D6

これらはバーの太さ・傾き・数字の位置・フォント差異によって識別され、
2¢ QV切手に残された各印影が分類根拠となる。

研究ノート(Research Commentary)


研究ノート/郵便史的注釈

1. Swatow楕円印の意義
本印は条約港時代後期の「貸与印」制度を裏付ける重要資料である。
本来、REGISTERED印は登録郵便専用であるが、Sub-P.O.開設時に正式日付印が未配備のため、
既存の登録印を転用した例が確認される。
“REGISTERED”削除型はその過渡的措置を示す。

2. “B62”貸与の背景
B62は香港本局の象徴的抹消印であり、
郵便量の増加に伴い汕頭・九龍・厦門などへの一時貸出が記録されている。
特にProud Type K25(大型版)は1884–93年に使用されたが、
Swatow例はこれに先行するため、地方局開設時の暫定使用と考えられる。

3. RPSLと報道資料
RPSL鑑定書および1883年9月12日付 “Hongkong Telegraph” により、
民間汽船 “Namoa” による郵便搬送が実証されており、
現存する切抜片はその一部と一致する可能性が高い。
学術的にも、条約港と民間海運の連携を示す一次資料である。

4. 香港G.P.O.の制度的位置
香港は1862年に切手制を導入し、B62印を中心とする抹消体系を構築した。
この体系は後に条約港局(Shanghai, Amoy, Swatow等)に拡張され、
帝国郵便網の中核をなした。

5. B62タイプの分類的意義
Webb分類によるC群(1867–87)からD群(1890–93)への変遷は、
印影の摩耗や製造母型変更に対応したものであり、
バーの数や“2”の形状の違いが局別識別にも用いられた。

6. 総合評価
Swatow Oval印とB62印は、条約港期末期の地方分局設置・貸与制度・印影転用の複合事例として、
郵便史上きわめて価値が高い。これにより、香港本局印が広東沿岸の地方局にまで一時的に拡張されていたことが明確になる。

主要文献:
E. Webb, “Philatelic and Postal History of Hong Kong & Treaty Ports of China and Japan”, 1962 
Proud, “The Postal History of the British Post Offices in the Far East”, Vol.1, 1987 
Charles Chan, “Swatow Oval Datestamp”, HKPS Newsletter, Apr 2023 
Robson Lowe, “Encyclopaedia of British Empire Postage Stamps”, Vol.3, 1951 
RPSL Expert Committee Certificate No. 2023/118 

残念もうデーター写真なし。日本関係は少ない。

まとめ作成。日本関係のみ抜き出し。

香港B62抹消印と日本との関係(年代別整理)


本稿は、香港総郵便局(G.P.O.)で使用された “B62” 抹消印(barred oval)と、
その印影が日本郵便と交差した事例を年代順に整理したものである。
B62は1862年導入以来、東アジア郵便網拡張の象徴として機能し、
香港・上海・スワトウ・アモイなど条約港を経由し、日本宛郵便にも影響を及ぼした。

1841–1861 前史:香港郵便制度の確立

1841年の香港割譲により英国郵便局が設置され、インド郵便経由で通信が開始。この時期、日本宛郵便はまだ定期航路がなく、上海経由(via Shanghai)で取り扱われた。

1862 B62抹消印の導入

ロンドンG.P.O.より香港へ“B62”楕円抹消印が正式配布。これが極東で最初の英本国指定番号印であり、後の条約港局貸与の原型となる。この時期、日本にはまだ英国郵便局は設置されていない。

1865–1870 日本航路開設と間接使用期

P&Oラインが香港—上海—長崎—横浜航路を開設。香港発日本宛郵便はB62印押印後、上海で再中継される例が増加。この時期の香港B62印付き日本宛郵便は“via Shanghai”扱いで分類される。

1870–1880 条約港貸与期の始まり

1870年代、香港G.P.O.のB62印は“Type C”期に入り、上海(S1印)やアモイ(Paid印)などで派生型が使用され始める。また日本側でも横浜・長崎の外国郵便受取所が整備され、日本—香港間の往復便にB62印が間接的に関与する。

1880–1885 B62 Type D期と日本宛便の確認

1880・1882年発行の2¢切手使用期。香港発横浜宛カバーにB62 Type D印を確認。2¢+5¢貼り7¢料金で外国書状便に使用。この頃、日本宛便で香港B62印が押印される稀少例が現れる。

1883 スワトウ(Swatow)貸与印事件

香港よりB62(Proud Type K25)がスワトウ臨時局に貸与。“REGISTERED”を削除した楕円印と併用され、日本宛便にも少数存在。C. Chan『Swatow Oval Datestamp』(HKPS, 2023)により初報告。

1887–1893 晩年期(Group D期)

B62印最終使用期。香港—横浜航路の郵便でB62とHONG KONG Type F消印が併用される。1893年の新庁舎移転に伴いB62廃止、Type D・F印が後継。この時期、日本宛便でのB62印は象徴的存在となる。

1894以降 制度的継承

1893年廃止後もB62印のデザイン要素はREGISTEREDやSHIP LETTER印に継承。1900年代初頭、日本到着便に“PAQUEBOT / YOKOHAMA”印が使用され、香港B62印との系譜的連続が確認できる。

B62と日本の関係年表

出来事日本との関係
1862B62導入(香港G.P.O.)香港経由の日本宛便が出現
1865P&O日本航路開設B62印便が横浜経由で到着
1870日本郵便制度近代化英国郵便との接続開始
1875条約港間印の派生(S1, Paid)B62系統印が拡散
18802¢切手発行日本宛外国便でB62使用確認
1883スワトウ貸与事件B62+REGISTERED削除型印使用
1890Group D期B62とHONG KONG Type F印併用
1893B62廃止後継印に移行

結論


B62抹消印は、単なる香港局の識別印ではなく、
東アジアにおける英国郵便行政の中核を示す印影である。
その影響は香港から条約港、さらに日本宛郵便にまで及び、
19世紀末の郵便網統合の実態を象徴する。

郵便史、歴史的背景も追加。

香港B62抹消印と日本の郵便史的関係 年代別年表

A Chronological Table of the “B62” Obliterator and Japan in Postal-Historical Context (1841–1900)

年代主な出来事郵便史的背景・日本との関係
1841香港がイギリス領に編入、英郵便局開設香港はインド経由で郵便処理。日本は鎖国下で外国郵便制度なし。
1858日英修好通商条約締結横浜・長崎・函館が開港、英国領事館設置、郵便制度導入の前提成立。
1862香港G.P.O.に“B62”抹消印配布(ロンドンGPOより)香港初の公式番号印、アジア初の英本国指定ナンバー。以後条約港へ展開。
1865P&Oラインが香港―長崎―横浜航路開設香港B62印付き郵便が日本経由で欧州へ流通開始。日本宛便にも間接使用。
1866–1867上海局で“S1”印導入、アモイで“Paid cds”使用香港B62印の系列として設計され、清国条約港郵便に拡張。
1870日本郵便制度改正(前島密による全国一律料金制)英郵便と日本郵便の接続開始。香港経由便が正式に認可。
1873–1875英郵便局、横浜・長崎・神戸で活動拡大香港B62印便がこれら港を経由、逆に横浜便が香港Paquebot印を得る。
1877B62 “Type C”→“Type D”へ変更、黒インク化香港の印影制度近代化、日本宛外国書状にB62印使用例あり。
1880–1882QV 2¢切手発行低額便の普及でB62印多用、横浜宛便(7¢)で押印例。
1883スワトウ局にB62(Type K25)貸与、“REGISTERED”削除型使用初の地方貸与事例。Namoa号便で香港経由日本宛便あり。
1885日本郵便、万国郵便連合(UPU)加盟香港との郵便交換が国際郵便として正式化。B62印便はUPU初期郵便史資料。
1887–1893B62 Group D期、晩年の使用香港―横浜航路の便でB62+HONG KONG Type F印併用。
1893香港G.P.O.新庁舎竣工、B62印廃止Type D・F消印に移行。日本宛郵便でも新印使用。
1894–1900香港・日本双方でPaquebot印普及横浜“PAQUEBOT”印出現。香港B62印の理念が海上郵便印として継承。

郵便史的背景の流れ

植民地郵便の始動(1841–1861)

B62印の源流は英インド郵便制度にあり、香港を拠点に清・日本への通信網が形成された。

日英航路開通と条約港網(1865–1875)

P&O航路開設により、B62印は香港発日本経由欧州行郵便の象徴となる。同時期、横浜・長崎・神戸の外国郵便局が設置され、日本郵便制度が整備。

印影制度の標準化(1877–1885)

B62の黒印化(Type D)と条約港貸与(Swatow)により、香港式の消印体系が清国沿岸に普及。日本のUPU加盟で、香港―日本間郵便は正式な国際郵便ルートに。

制度継承と象徴化(1893–1900)

B62印は廃止されたが、その形式は「Registered」「Paquebot」印に引き継がれ、横浜港Paquebot印の直接的先祖と位置づけられる。