切手展展示用リーフ作成。書き込みの間違い他最終チェックのためまずネットに表示読み直している。自分ではなかなか気が付かない部分の再確認である。
トップリーフ

いつも苦労するトップリーフ、全体の説明なかなかスムーズに前進しない。今回は2フレーム32リーフ。
1フレーム16リーフ作成してトップリーフ半分作成。パックボーメールで出品申し込みのため、表題変更せず。年号のみ追加、1895年から1936年、郵便史としては日清戦争終了後から日中戦争直前まで41年間32枚のリーフでパックボーメールの展示である。期間が長すぎるか? もう少し集中的に収集が必要。しかし簡単には集まらない。
上段8枚 ブロック4枚ごとでストーリー展開 まず英国局、中華郵政局

上海英国局、1914年清国がUPU加入まで英国局で使用のパックボー印。台切手英国、香港切手。
もう少しpaquebot印BPO印の鮮明なカバー欲しい。

上海中華郵政受付パックボーはがき。英国切手貼りフランス、パリ。米国バルチモア宛て。枠付きPaquebot印のみのカバーは多数だが日付け印の鮮明なものは少ない。中国郵政UPU1914年加入のため英国船から仏国米国へ送付可能である。

上海中華郵政PAQUEBOT印は多いが日付印がないので使用期間決定できない。日本の到着印と三井物産社内受取印のはがきをどうにか見つけた。枠付きパックボーの字体が少し異なる。中華上海局で異なる書体使用か? 年代で異なるのか? 上海中華局外国郵便交換局2-3局あったのか? 投函船名記入確定できるが良い。船から投函したはがきなので岸壁近くのポストまたは中華郵政本局(現在の郵便博物館の場所)投函か?

展示には横二枚の方が見やすい。PAQUEBOT枠入り枠なし。船名印から日本郵船太平洋航路、欧州航路の船、上海寄港が判明する。

漢字のみのパックボー印お気に入りである。しかし日付けなし年代確定できないカバー多い。上のはがきは漢字部分薄いが中華郵政日付印はしっかり読める。下は漢字由輪船信箱取出之郵件読めるが日付なし。注意深く文面見るとトップに小さい日付書いてあるのを見つけ元気となる。

全体に焼けた日本郵船欧州航路客船靖国丸ディナーメニューに書かれた手紙。大きさがあり裏面から貼り付けた。中華郵政取り扱い日付け印の中にPaquebotと漢字輪船信函郵件の表示あり好みの印である。

中華郵政取り扱い日本切手6銭貼り英国船ss.canton号積み込み米国宛て書状。内国印刷物100g6銭(Printted Matterの表示あり)上海日本占領地で投函なので日本切手使用か? 取り扱いは中華郵政局である。不思議なカバーである。単に郵趣家が記念に作成か? 紛争状態でも日中間には郵便取り扱い規則あり、最速輸送米国西岸カルフォルニア宛て英国船で欧州経由輸送された様だ。中継印、到着印あれば面白いカバーとなったが、残念。この船は8月13日上海から欧州に航海、英国グラスゴー港で海軍徴用されている。
下のはがきは乃木2銭はがきは消印は薄いが赤字受取日付け書き込みあり。また1939年日本郵船より国策会社東亜汽船定期用船の大洋丸よりの書き込みあり。中華郵政消印、長野県に送付されている。
次の8枚 上海2 漢口2 大連4

上海日本局、パックボー印。1908年黒欧文櫛型印まず読める。菊切手1銭5厘支加刷、黒枠付きパックボー印宛名と重なり少し見えにくいのが残念だが南陽丸船上にての書き込みが良い。NAN YANG MARUと読む。日清汽船揚子江を漢口から上海に航行している河船である。しかし3588総トン大型客船である。日本郵船で1907年完工、就航初期1908年投函。

植草はがきです。逓信官史植草氏あての手紙は多数残っています。教え子の通信士から世界各地からの手紙が貴重品です。満鉄が運航した上海大連航路榊丸からの年賀状、暑中見舞いです。文面には本航路に青島港が追加されること、船内郵便局勤務の記載がある。1915年上海局欧文櫛型時刻入り印、パックボー印は黒枠付き。

漢口パックボー左はずいぶん昔に入手、データーなし。朱印枠付き支那加刷、菊はがき1銭5厘。やっと漢口英文消印読める。右側の田沢1銭5厘はがき最近入手元気になり、2枚張りリーフ作成。初めて見る漢字書き舩中投函扱の朱印がお気に入り。宣昌から漢口航海中投函。中村修氏領事館勤務多数の手紙オークションに出品。コレクター集合に友撮は久しぶりに激しい争いとなった。裏面宣昌埠頭絵はがき、当地より乗船書き込みあり。

同様中村カバー出品の中から戦いに勝利入手はがき。SASHI欧文印やっと読める状態。しかしパックボー印漢口から宣昌間、大亨丸にて書き込みあり。裏面絵はがき日清汽船上海桟橋船も良い。
次の4枚大連

大連日本局扱いパックボー印、漢字船内郵便。はるぴん丸ばいかる丸から投函。アカシヤの大連訪れてみたい。満州への入り口、岸壁に鉄道乗り入れ船から鉄道への乗り継ぎ容易なことが他の絵葉書でよくわかる。

亜米利加丸、大阪商船他の航路から配船替え。

手紙が残っいた封筒入手。航海の様子が詳細に記載されている。夏場台風でも通過か? 玄界灘大しけ、門司港に引き返している。こういう内容の手紙は郵便史コレクターには非常に興味深い。

英文DAIRENパックボーなぜかオークションいつも高価となる。争いが激しくなかなか消印の良いカバー入手できず。奉天丸、上海大連定期船投函興味深い。
2フレーム長崎8枚

連合はがき2銭。1895年、1898年裏面書き込み船名西京丸、長門丸あり。右側はがき差出人東和洋行朱印が良い。
初期のパックボー印。他2局同一印支給の情報あり。手持ちなし調査継続です。

たんたんと横2枚縦2枚のはがき並べるのも退屈なので、はがきと封筒組み合わせ。Qに特徴のある初期のパックボー印です。封書押しパックボーカバー状態の良い品かなかな入手出来ない。はがきはバックボー扱い米国サンフランシスコ宛て。

はがき、2段表示上に英文PAQUEBOT下に漢字船内郵便。ここ一つクリアーな消印入手できず。官報告示で投函船春日丸、筑前丸判明。ネット検索で告示読める時代簡単にデーター取得。郵便史作成が進む。

はがき2枚とも印が薄いが舩函揚。枠付き赤と黒印。クリアーな品入手交換したい。長崎欧文櫛型印も状態悪い。

昔けつこう高価で入手品。印は薄いが欧文長崎ローラー印。裏面箱崎丸記載あり。コピーして展示。日本郵船、欧州航路の船である。

大型封筒どうにか1リーフに閉じ込め展示。裏面コピー上海陸戦隊差出、不要か?

私の好きな日付印にPAQUEBOT組み込まれたカバー。日本切手でないのが残念。
門司下関リーフ8枚

門司の漢字表示舩函郵便。青島、上海投函。カタログにデーターなし。詳細調査中。類似品探すがまだ見つからず。

下関舩函揚、赤印黒印。日本郵船上海神戸航路。門司寄港時下関送付パックボーとして取り扱い。

下関局ほとんどが青島からの郵便物である。外国郵便交換局、貯金等も取り扱い青島局の出先局の様。中国進出。
列国の中国侵略、日本も青島在留民への安定した郵便サービスの名のもとにパックボーを名目に特別取り扱いで下関局経由で取り扱った。

下関パックボー船上投函。裏面絵はがきはるぴん丸、大連航路。原田丸青島航路。裏面絵はがきはきれいで興味深いが、パックボー印はがき変化なし退屈感あり。

これも特殊扱い、第二次山東出兵、第三師団名古屋歩兵十八聯隊軍医から差し出された、郵便史上貴重なカバーです。近海郵船、景山丸天津神戸船の絵はがきに書かれ天津タークー到着後投函。天津から門司経由下関で郵便袋開封パックボー扱いで宛先地愛知県に配達されています。

封筒内に手紙残っており、大阪商船のロゴ入り便箋封筒もロゴ入りで船マニアには嬉しくなります。文面よりうらる丸投函、大黒山列島沖迂回。航海の様子を書いた、1週間前バイカル丸座礁の生々しい文面にびろっくりです。

1リーフ2枚の封筒展示の原則を破り手紙内容物の展示です。文面から時代のにおいがプンプンです。
日本軍守備隊差出青島神戸連絡船からのパックボー便です。日本の満州進出、1931年満州事変、1934年の手紙。1935年6月華北支配確定しています。

ラスト何にするか迷いましたが、はがき下関経由米国セントルイス宛て。Chat GTPのお陰でくにゃくにゃした手書き英文全部翻訳して航海の様子判明。トップにNANREI MARUの表示あり、近海郵船天津航路神戸線門司投函。逓送航路下関重要な郵便局判明、もう少し下関局詳細調査必要。