
山口郵趣会追加12リーフ作成した。 時間的余裕がないので、過去の出品パナマ運河関係リーフ解体後まずトップリーフ作成した。 パナマ運河開通前のカバー集めAIで解析、1828年から1908年多数のカバーから余り考えずサラーと11枚並べた。 郵便史リーフ作成の練習である。

最近入手1828年スタンプレスカバー最初に展示。ペルーから119日航海を続けてやっと届いた手紙は貴重品と思い少ないデーターからあれこれ検討をした。古い手紙は裏面に発送、到着日付けが手書きされているのが良い。1848年カルホルニア ゴールドラッシュ以前の世界、英国が世界の海を制覇した時代。チリ、ペルー南米にも進出。ケープホーン経由より気候が安定したパナマ地峡経由の手紙の輸送が主流である。300トンくらいの小型船で補給を続けパナマ地峡も20日以上通過日数を要した。
1/2英国初期の料金表からロンドンまでのコーチ(馬車)料金を見つける。ロンドン船専用取扱い局で船の料金とその後の陸送距離料金を追加され宛先地まで配達された。料金は受取人が支払った。

パナマ横断鉄道のスタンプレスカバー。郵便史上では貴重品。出品作品から解体、再び登場である。

AIの力で1リーフごとに英文単語間違い、文法間違いチェック。全部で12リーフ比較的短期間に終了。
英文単語の打ち間違い後日構成で見つけるのはなかなか苦労する。
仏国切手貼り前払い手紙である。この時代スタンプレスレターより高価である。外国宛て事前に料金支払い、無事宛先に到着するのは困難な時代。Forwarding Agentのボルドー青印。これが貴重である。
途中切手は貼ってあるが追加料金請求の場合、この代理店が支払い保証をした。書き込みからルアーブルから南回りサザンプトン経由NEW YORK号でニューヨーク経由パナマへ、その後サンフランシスコまで配達である。PDの前払いの印があるが米国入国ニューヨークで料金チェックしてある。

1862年再びスタンプレスレターだ。最近入手まだ調査不十分。

1879年チリ切手貼り。1875年UPUで外国郵便料金統一、切手貼りでも容易に届く様になった。しかしこの手紙はパナマまでの料金支払い、米国追加料金後払い。複雑な国際郵便の取り扱い過度期の郵便である。

パナマ到着便。なかなか見つからず。やっと2通カバー入手。南米の右肩ギニア3兄弟、英領 和蘭領 仏領 一番西側BRITISH GUIANAジョージタウンからのはがきである。昔訪れたことのある港町からの発送である。初期の切手は高額取引記憶にあるが図案しっかり見たことなし。トランジット コロン印あり。地峡を超えて太平洋側パナマまで運ばれたことが判明。
下はジャマイカからコロン宛て、カリブ海内7日で到着。コロンビア共和国コロン宛先。

1890年チリUPUはがきVIA PANAMAの表示あり。やっと外国便定額化。チリからパナマ経由米国ニューヨーク入国。しかしまだニューヨークPAID ALLの料金支払い確認印が押してある。
下側はエクアドルからのはがき。パナマ ニューヨーク経由ドイツ宛て。

1892年英国よりチリ宛て書留便。初期のR表示手書きREGISTER MAILである。
下は1908年安定した外国便送付可能になり、ロンドンからペルーリマ宛て裏面到着印あり。送達日数確認できる。

古いコレクション解体はがき。コロンビアからドイツ宛てフランス船内印付き。発信局印、船内局印、到着局印あり、なかなか良いはがきである。パナマ地峡の歴史から見るとフランスはレセップスがスエズ運河建設成功。1881年からパナマ運河建設に着手。1889年資金不足、マラリアの蔓延等から建設から撤退。欧州から定期船運航が続いてこの船内印も多数見られる。

1895年エルサルバドールからの手紙。ドイツ宛てこの時代中米にも多数のドイツ人がいたのか?ドイツはコレクターが多いのでこのような手紙多数あるのか?まあ郵便史で遊んでいるので助かる。
下のはがきもアカフトラの発信印、パナマの中継印。ニューヨーク中継印、ハンブルグの到着印もあり郵便輸送経路示す、郵便史コレクターにとっては貴重なはがきです。投函消印不鮮明AIとあれこれ候補あげてACAJUTLAと確定。この港も昔訪れたことがあり、最初のACで確定の手助けとなる。

ベネズエラUPUはがき。これもフランス船内印、コロンからボルドーに表示あり。1899年遠いい昔である。
サラーと12リーフ完成。長い歴史の中のアラカルトである。これで見る人に理解できるか不明であるが、自分の展覧会用コレクション作成の練習。