イタリヤ、プリンディシ港

船内局

仏国船内印整理

仏国船内印整理していたら、オランダ領インドネシア メダン1888.12.13.投函 仏船内印1888.12.18.(SIN?)GAPORE1888.12.17. ANVERS1889.1.11.到着印のはがき見つける。

他に?MED INEXE OVEX NAPLESの表示印。

最近、郵便輸送経路について興味が出てあれこれ調べている。これはたぶんメダンからシンガポール、仏国船便でスエズ運河経由イタリヤナポリで陸揚げ鉄道でバリ経由ベルギーに送付されたと思われる。この時代スエズ通過後、イタリヤ、プリンディシ経由ナポリ経由その他マルセイユ経由があったようだ。

イタリヤ南部プリンディシ港経由は料金が高いのも最近知った。

古い郵趣記事を参考としてリーフ裏に貼り付けたのを見つける。

この6銭はがきが、初めて発見されたと言う昔の記事。記事をよく読むと、残念ながらイタリヤ経由VIA BRIDINISIでなく米国経由便である。1877年UPU加盟後の料金らしい。

このはがきのナポリ陸揚げ後、輸送経路

ナポリ陸揚げ後、鉄道でローマ トリノ経てプリンディシからの郵便と同様にモ二・スニのトンネルを通り、モダーヌで仏国入りパリ経由ベルギーに送付された。

輸送日数の推定

MEDAN 1888.12.13. (4日)  日付確認

SINGAPORE 1888.12.17. 4953マイル (20日12時間)

SUEZ/PORTSAID 1989.1.7.(20時間)

NAPELS 1898.1.11. 1108マイル(4日15時間)1.11.一部読める印か?

ANVERS 1898.1.14. (3日)  不鮮明印か? それとも航海速力が10ノット以上出て早着か?

ANVERSが仏語読みANTWERPアントワープと判明。上記速力12ノットに修正

シンガポール/スエズ間(速力12ノット17日5時間)。スエズ到着1898.1.2.

ナポリ1.8. アントワープ1.11.

関係資料

英国のP&O船社の地中海の母港は1853年以来はマルセイユでした。フレンチオーバーランドメールと呼ばれジブラルタル経由より1週間早着した。郵便物の早着のため鉄道を積極的に利用、1870年1月イタリア プリンディシ港に変更した。

仏国郵船の地中海の母校もマルセイユでした。1879年5月よりナポリに寄港して郵便物陸揚げ同様にスピードアップを図りました。

その背景は極東から欧州向け郵便は米国経由の方が早く到着するという事情がありその対抗策として早期陸揚げ鉄道輸送によるスピードアップを図ったものです。

ポートサイド/マルセイユ   1512マイル/10ノット 6日7時間

ポートサイド/ナポリ     1108マイル/10ノット 4日15時間

ポートサイド/ジブラルタル  1913マイル/10ノット 8日

ポートサイド/プリンディシ  1000マイル/10ノット 4日4時間

プリンディシBRINDISI港

上記地図を見て、思いだした。クロアチア国のコッパ―港に向かう途中。アドリア海の入口、この港の沖でドリフティングしてギリシャ海軍の臨検を受けた。日記を取り出して詳細を調べると、1994年8月28日午後突然VHF電話で呼び出され臨検。ドリフトして待機、1630-1810積荷書類と艙内車を自動小銃持ったギリシャ海軍に臨検された。なぜギリシャ海軍かと不思議に思ったが今考えると旧ユーゴ内戦時の国連軍と思える。小型海軍の警備艇のため、この港の防波堤のすくそばまで接近した風景が29年後になっても鮮やかによみがえる。

maps.app.goo.gl/ndwNqLJvkCqkWR3T6

アドリア海に面した小さい港だが郵便輸送から見ると重要な地点である。カタログを見ると経由便しっかり外国郵便の部分に表記されていた。いつかこの経由印のカバー入手したいものである。