Stamp Show 2023 Canal Zone 船からの手紙(1905-1939年)

SHIP COVER

やっと完成、送付完了 ほっと一息です

16リーフ簡単に作成か? 安易に考えていたが、ストリー展開なかなか進展せず。CZSGのホームページ見て収集家先輩のコレクションから展開アイデアあれこれ考えて、最終的には締め切りに追われて船からの手紙でストリー展開出品した。競争展でないので遊びの絵葉書3リーフ入れて、フリースタイル部門にエントリーした。切手以外のマテリアル不足でフリースタイルにはちょっと? であるが、展示方法の練習、暇つぶしの材料として作成した。最終的には3フレーム展開。競争展の出品を狙いたい。

2リーフ目 最初に作成したリーフ1905年CANAL ZONE開通前

パナマ運河開通前の状況をカバーで表示しよう。交通の要所としてカリブ海側の港COLONは1865年頃より仏船内印があるが残念初期のカバー未入手。コロンビアからパナマ国が独立国となり1903年米国が租借からこの展示の開始です。3フレームにするにはこの辺りのカバーもう少し入手したいものです。

canal zone局は1904.6.24.開局、最初の切手はコロンビア切手に加刷発行。2c 5c 10c切手が7月17日まで24日間のみ使用。その後米国切手に加刷。この3種も7月18日から12月11日まで使用。この最初期のカバーは使用期間が短く発行数も少ないのでカバー未入手。偽物も多く単片切手収集はパス。

その後タフト協定でパナマ切手に加刷、額面の40%をパナマ国に支払うことが義務付けられた。と言うことでこの展示の初期のcanal zone切手カバーからスタートです。パナマ1c切手にcanal zone加刷切手貼。赤紫不鮮明消印canal zone消印。ニューヨーク到着印あり。OKです。消印不鮮明下部にコピー表示しました。消印のANCONは太平洋側の鉄道起点コロンまでパナマ地峡郵便物輸送の主要局。

ニューヨークの到着印9月11日。コロンから6日間で到着。何とも早期到着なので最短予想で計算してみた。パナマ鉄道3時間。コロンからニューヨークまで1972マイル。速力15ノットで5日12時間で着。この時代の船は郵便輸送が主業務速力18ノットくらいかも? 通信手段が郵便が主の時代何とも早期輸送されています。

コロンビア国名を黒で消しpanma加刷、パナマ切手にcanal zone加刷1cカバー

絵はがきが面白いので開通前リーフとして展示。

1906年コロンビア切手にpanama加刷、そのパナマ切手にcanal zone加刷でまあ楽しい。人口も少なく予想外に切手が必要で追加追加で加刷。後年のコレクターは面白いコレクション作成できる。

仏船内記念印 工事前 工事後の絵葉書

1908年コロンから仏向け船内印、絵葉書にパナマ切手記念消し。下は同じ場所、工事が進行中の1913年消印の絵葉書。運河沿いに走る鉄道が右に迂回する場所は? 探してみるとpedro migel locks通過後pariso付近。右奥の山が工事最難関、ジェラードカットらしい。絵葉書比較の遊びのリーフ。

 

1912年 英国船 COLON TRANSIT 印 船からの絵葉書

この展示を作成する動機となった1枚の絵葉書。裏面の船酔いの絵が面白いので購入した。posted on the high seas(公海上で投函)の表示があるので船関係か? と思っていましたが詳細には調査せず。

英国船船名も不明。西語の文面を詳細に読むと明日25日朝0900コロン着。次は27日オレハスへと解読する。オレハスがどこか探すが不明。2日で到着なのでコロンビア、ベネズエラ辺りか?  西語で耳の意味なのでマラカイボ、トリニダードトバゴ辺りか? 古いカリブの地図に大まかな表示あるのを見つける。

あれこれ調査してCOLON TRANSIT印 LUND氏のPAQUEBOTカタログにも表示あり。パックボー類似の印らしい。1900年以前は英国船はcolonで郵便は英国領事館に陸揚げ目的地別に他の船に積替えたらしい。この消印panama のcolomn局で積替え時押されたと思われる。船からの手紙展示開始です。

1913-1914年 開通前 船員投函はがき 文面より

パナマ運河開通1年前 cristobal canal zone(大西洋側港) 投函。

colonより踏切一つ越えた500mの所にある港。郵便局他運河管理建物がありすぐに岸壁。cristobal港はまだ工事関係資材陸揚げのみで一般商船は使用不可と思える。colonで投函するより米国管理下のcanal zoneで投函する方が郵便逓送に確実性があると思いcolonよりcanal zoneへ入国して投函されたと思われる。米国人なら比較的簡単にcanal zoneに入れたと思われる。入口にGateがあったかは不明。文面に日付あり1913.10.6. 内容は10月2日木曜日colon着来週木曜日出港予定。パナマ切手に加刷、英文書き込みも綺麗でなかなか良いはがき。米国ボストン宛て。

2枚目のハガキ1914.3.17.パナマ運河開通年なので購入した。(1914.8.15.開通)

ゆっくり読みにくい英文を読むとなかなか面白い。文面ブレーメンより旅客で汽船J.L.L.Luckenback号に乗船。しかし2等航海士が下船した為、彼に替わり当直に入っている。まさに船からの手紙である。

1914年開通後、第一次世界大戦勃発 通過船少ない

パナマ運河は1914.8.15.無事開通、しかし第一次世界大戦勃発の為通過船少なく関連カバーもなかなか入手出来ず。やっとこの1通1919年の検閲印付カバー見つける。cristobal港のpaquebot印だが差出は同じcristobal。切手はパナマ切手加刷CZ。船積前に仕分け中経由印として押されたか?

2通目。1919.6.30.消印 balboa(太平洋側港) 日本船員からの手紙、汚れはあるがなかな日本人からの手紙入手難しいので気に入っている。Canal Zoneは大型船が接岸できる港はBalboaとCristobalのみ。

Balboa港はなかなか見つからず。

パックボーの手紙 Balboa paquebot証示印 UPUカラー

UPUカラー緑 1c 国内はがき 赤2c国内封書 青5c外国宛て

大型のPAQUEBOT証示印押されているが、使用年不明。LUND氏のカタログによると1920-1933年使用らしい。CZのパックボーでは珍しい印らしい。LUND氏多数のカバー収集データー作成ありがとう。

1923年 1925年 paquebot cristobal 機械印

通過船増加。北航、南航1日合計50隻程度として1船50名乗船。1人5通投函 合計12500通。

手押しでも不可能ではではないが、世界的機械印普及。横7本波型内にpaquebot消印使用。

日本でも1919.11.21.から米国ユニバ―サルD型機輸入使用した。これと同じ横7本波型。

 

1926年 1927年 paquebot cristobal 機械印

これも機械印。米国国内料金2cで米国宛て 11/2英国宛て。パックボーはがきだと喜んで英文内容精査していない。下のハガキpaquebot機械印上下に押しある。機械から落下等のトラブルで2回押しになったのだろう。鮮明印2個押し、コレクターは喜ぶ消印。

1926-1927年 balboa paquebot 手押し印

1926-1927年 手押し印 balboa paquebot印 米国宛ていずれも西岸宛て。

ニューヨークからパナマ運河経由カルホルニア航路の米国船籍SS.Mongollia投函。米国国内料金2c使用。米国カルフォルニア宛て。

米国国内料金2cロスからバルボア着。米国カリフォルニア宛て。日本語のハガキがうれしい。

1928年 cristobal paquebot 米国2c切手にcanal zone 加刷切手使用

文面よりニューヨークに向けて運河通行開始した。ハガキに日付記載あり。paquebotの消印日付もしっかり読める。年号が読めないカバー多いがこれはセーフである。

また米国2c切手使用のパックボーカバーは多いがこれはしっかりcanal zone加刷されている。

canal zoneで上陸CZ加刷切手(1924年発行)入手したと思われる。なかなかの珍品か?

絵はがき ジェラードカット通過船

ジェラードカット通過船3隻。いずれも北航船。左舷の岩盤が硬くて掘削に長年苦労した。

日本船かなだ丸大阪商船のファンネルマーク。米国軍艦。昔あの有名なグレースラインLyaelic Star号

CZ開局25周年 1929年 パナマ運河開通 1939年 25周年記念カバー

1904.6.24.canal zone開局。1929.6.25. cristobal paquebot印 封筒に25周年記念カシェ。調査不足でオフィシャルな物か不明。日付的にぴったりなので郵便局で押されたモノか?

1914.8.15.パナマ運河開通。1939.8.15. cristobal paquebot印 FDCとして作成されたモノ。

 

1933-1939年 コロンビア切手貼 cristobal paquebot 米国宛て

1933-1939年2通のコロンビア同一差出人からのcristobal paquebotです。transmaressと言うコロンビア べナベンチュラの船舶代理店(日本人船員はベナベンと呼んでいた港町)から米国宛て商用メールの封筒です。なぜパックボー印が使用されているのか疑問ですが?? 他にもこの差出人からのパツクポー便多数存在することから、特別の方法でコロンビアからcanal zone cristobal局に渡し、paquebot扱いで処理されたと思います。cristobal局なら米国宛て郵便取扱船スケジュールが確実に分かり最速で処理米国に届いたからと思います。

単純にベナベンからクリストバル間、コロンビア船籍船で運ばれcristobalで陸揚げ正規paquebot扱い消印。送付者がtransmaresは船関係会社または船舶代理店と思われる。容易にコロンビア船籍船にpaquebot取扱いで託送してより早く目的地に逓送しようとしたと思われる。

独国 客船 ブレーメン cristobal paquebot 独船内印

独国 豪華客船ブレーメン号 船内投函 船内印南米周遊特印1939.2.11-3.24. 1939.2.15.消印

cristobal paquebot 1939.2.15.トランジット印。絵はがきも展示16リーフ終了です。最後は力が抜けたもう少し何か探せば見つかったかな? 気力を出して多数のカバーコレクションの整理が必要です。