1901.1.15長崎Paquebot印浦潮投函はがき

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ロシアはがきに書かれ、浦潮投函、長崎揚げ。横濱宛てデータ更新。立山氏のシッピングリストより東清鉄道汽船、旅順口浦潮航路投函と判明、データーAIでまとめた。

【1 東清鉄道汽船会社の創設】

ロシア政府補助の下で東アジア航路を担っていたゼヴェリヨフ汽船会社は、1900年1月1日付で航路権益を東清鉄道会社に譲渡した。東清鉄道会社はこれを受け、上海・長崎・浦塩航路および郵便輸送業務を継承し、「東清鉄道船舶部」を設置した。1898年以降の南満州鉄道建設に伴う大量輸送需要を背景に、1899年2月、東清鉄道汽船会社を設立。1900年3月より本格的に営業を開始した。

【2 創立当初の航路】

・上海迂回線(上海-青島-芝罘-旅順口-長崎-浦塩)・韓国海峡線・浦塩-旅順口線

【3 船腹拡充と航路発展】

1901年以降、大型新造船の投入により航路網が拡充。大連-長崎直航線(1903年3月開設)などが整備された。

浦塩港には砕氷船が配備され、冬季定期運航が可能であった。

【4 1901年末時点の主要汽船】

モンゴリヤ、マンチュリア、ハイラル、ハルピン、アムール、ノンニー、シルカ 他

【5 郵便輸送事業】

郵便汽船としての活動期間は1901年~1904年。長崎郵便電信局と連携し、浦塩宛郵便を中心に安定輸送を実現。一部船舶には船内郵便室が設置されていた。

【6 旅順・ダルニー経由便の意義】

日本郵船休航期における代替ルートとして重要な役割を果たし、明治期日露間郵便輸送史において特筆すべき存在である。

追加情報

① ハガキの郵便史的解説

本はがきはロシア官製4コペイカはがきで、1901年1月15日に長崎郵便局において「PAQUEBOT」印をもって処理されたものである。本通は東清鉄道汽船会社所属汽船「ハルピン」船内で作成・保持され、日本寄港地である長崎において船内投函郵便(Paquebot)として引き受けられた。額面4コペイカは1899年以降のロシア発UPU加盟国向け官製はがき正規料金であり、料金的に完全に適正である。

② 使用船の詳細:汽船ハルピン

船名:ハルピン(Harbin)建造年:1881年総トン数:約3,573トン所属:東清鉄道汽船会社
ハルピンは1901年前後における同社主力船の一隻で、旅順・ダルニー・浦塩と日本各港を結ぶ航路に就航していた。日本郵船の浦塩航路が冬季に不安定であった時期、ロシア系汽船であるハルピンは日本郵便にとって重要な代替輸送手段であった。

③ 航路・輸送ルートの詳細

想定輸送ルート:
ウラジオストク →(東清鉄道汽船会社 汽船ハルピン)→ 旅順またはダルニー → 長崎(1901.1.15 Paquebot印)→ 横浜(山下町 商社宛配達)

④ 宛先(横浜・山下町商社)の位置づけ

宛先は横浜市山下町38番地 ハーレンス会社気付 秋山ウメと記されている。山下町は明治期横浜外国居留地の中心であり、ロシア汽船代理店や輸出入商社が集中していた。外国商社宛『気付』の日本人名記載は、日露間の実務郵便に典型的な形式である。

⑤ 郵便史的評価ポイント

・1901年 東清鉄道汽船会社初期の使用例
・使用船ハルピン確定
・長崎Paquebotの明確な実例
・日露戦争前の安定期国際郵便
・ロシア極東と横浜商業ネットワークを示す実務郵便