
久しぶりに米国Paquebotカバーリーフ作成。8月に入手、コーナー破損ぎりぎり切手助かる、まず裏に充て紙貼り付け補強である。破損部分から便箋が出ていたので、これも取りだして補強。

タイトル作成に内容理解する必要からAIにて全文活字化、日本語訳する。
Monroe Sept. 10th 1986
Dear Sir,
Yours of the 20th August came safe to hand and it affords me pleasure to inform you that we had a pleasant journey home and that Mary’s health is much improved. Anahline is also quite well & pleased with the country.
I need not assure you that it will afford me much pleasure to aid you in locating lands to the amount of $200. I have no doubt that I can make selections of lots for you in which you will double your money in a short time & more too. You must let me know about sending me the money. You can inform me at what time your money will be ready. I can draw on you through the Pettisville Bank. You check drafts once again or the money there at once. Let me know at what time I may draw on you for the money. I have no doubt I can make a sale nearly — say in three months.Also please write me your opinion in their receipt to yourself…
Yours truly, Martin J. Adams
1986年9月10日 モンロー 親愛なる御中、
8月20日付のお手紙は無事受け取りました。私たちは快適な旅を終えて帰宅し、メアリーの健康も大いに回復したことをお知らせでき嬉しく思います。アナラインもとても元気で、この地域を気に入っております。
ご依頼のあった200ドル分の土地取得について、お手伝いできることは私にとっても大きな喜びです。短期間で資金を倍にできるような区画を選ぶことは十分可能だと確信しております。
つきましては、送金の時期についてご連絡ください。資金の準備がいつ整うかお知らせいただければ、ペティスビル銀行を通じて為替(ドラフト)で引き出すことができます。いつ私が資金を引き出せるようにすればよいかお知らせください。おそらく3か月以内には売却して利益を出せるはずです。
また、書類を受け取られた際には、その内容についてご意見をお知らせください。
敬具 マーティン・J・アダムズ
手紙の内容から歴史的背景のまとめ
【1. 地名の背景】
■ モンロー(Monroe, Michigan)
・ミシガン州南東部、エリー湖西端に位置する港町。
・19世紀は湖上蒸気船の寄港地として重要で、地域産業・物資流通の中心。
・鉄道網は整備されつつあったが、湖上交通が依然として主力であった。
■ トレド(Toledo, Ohio)
・エリー湖南西端に位置し、五大湖水運と鉄道網の結節点。
・19世紀後半には船員・貨物の中継地として急速に発展。
・船内投函郵便(Steamboat Letter)の陸揚げ処理が多かった港の一つ。
■ ハミルトン(Hamilton, Ohio / Indiana)
・郵便ルート上の主要鉄道中継地。
・トレドから南下する鉄道路線により、迅速な郵便配送が可能だった。
■ ローレンスバーグ(Lawrenceburg, Indiana)
・最終到着地。オハイオ川沿いの交易都市で、鉄道網と密接に結びつく。
【2. 手紙内容から推定される人物像】
■ 差出人
・モンロー近郊で生活または商業活動を行っていた人物。
・緊急性の低い私信・業務連絡の可能性が高い。
・当時一般的であった「蒸気船船長への預け投函」を利用したと見られる。
■ 受取人
・ハミルトンまたはローレンスバーグ方面で生活・事業を営む人物。
・鉄道配送の利便性が高い地域であり、商業取引や家族関係の通信と推定される。
【3. 歴史的背景(内容から読み取れる時代環境)】
■ 五大湖地域の交通事情(1880年代)
・湖上蒸気船が日常的な移動・物流手段として利用されていた。
・郵便物は船長が預かり、港で郵便局に渡される方式が一般的。
・船便は季節に大きく左右され、早期凍結により航行不能が頻発。
■ 1886–87年冬の異常気象
・エリー湖は早期凍結し、多くの蒸気船が ice-bound(氷中閉塞)となった。
・船内の郵便袋は冬季の間回収不能となり、翌春にまとめて処理される例が多かった。
■ UPU(万国郵便連合)前の船内郵便制度
・国際的な Paquebot 規則が整備される前であり、
湖港での船内郵便処理は地域慣行と郵便局の判断に委ねられていた。
・そのため、港での初消印が「事実上の差出日」となるケースが多い。



パックボー印、卵型20mm-21mmデーター調査。カタログに記載なし。卵型マイアミ港のみ。切手の消印地名読めず。3.4か? 一歩一歩、裏面到着印 Hamilton 1887.3.4 7PM。Lawrenceburg 1987.3.5 9AM。確認場所は
宛先Lawrenceburg Dearborn Country Indianaどこかな?地図を開くと五大湖周辺らしい。Google Mapで探す。



モンロー、エリー湖の西に見つける。到着地は南西シンシナティの北にハミルトンが見える。地理的内容は理解出来た。パックボー印がなぜ押されているか。手紙が書かれたのが1986.9.10 到着が1987.3.5何とも理解できない。AIも別の手紙が入っていたのではと言う答え。切手の消印も3.4なら受取3.4中継3.5到着なら考えることもない1987年の米国国内便である。
Paquebot印は船から陸揚げした郵便に押される。この手紙は2c切手地名は不明だが3.4 日付けが読める。
頭が混乱して、これまでの諸条件をAiに入力回答は次のようになりびっくりである。
五大湖 氷結遅延 Paquebot 郵便(1886–87)
■ 郵便ルートおよび地理的背景の要約
1. 差出地:ミシガン州モンロー(Monroe, Michigan)
– 五大湖西端に位置し、デトロイト川を経てエリー湖に直接通じる。
– 蒸気船郵便(Steamboat Mail)および Paquebot 取扱が成立する唯一の「Monroe」。
– オハイオ州モンローは内陸のため対象外。
2. 1886–87年冬季のエリー湖氷結
– エリー湖は毎冬ほぼ完全に氷結し、12月〜翌年3月まで航行不能となる。
– 1886–87年の冬、多くの蒸気船が氷に閉じ込められ(ice-bound)、郵便物は船内または港湾で滞留した。
– 1887年3月初旬、解氷後に滞留郵便が一斉に陸揚げ・処理された。
3. 陸揚げ港:トレド(Toledo, Ohio)— 最有力候補
– モンローに最も近い主要湖港で、五大湖氷結郵便の中心。
– 1886–87年には多数の蒸気船がトレドで越冬し、郵便を積んだまま氷中停留した史料がある。
– Paquebot/Ship Letter 類似の湖上郵便処理が記録されている港。
– 3月4日朝の陸揚げ → 夕方ハミルトン着の鉄道接続が成立する唯一の港。
4. 陸路輸送の経路
– 1887年3月4日(朝):トレドで陸揚げされ、Paquebot 印が押印される。
– 同日:トレド → デイトン → ハミルトン(Ohio)と鉄道輸送。
– 3月4日 7 PM:ハミルトン到着印。
– 3月5日 9 AM:インディアナ州ローレンスバーグ到着。
5. 郵便分類
– 本郵便物は国際 Paquebot ではなく、特別分類:
「五大湖 氷結遅延 蒸気船郵便(Great Lakes Ice-Delay Steamboat Mail)」
– 冬季航行停止による郵便滞留と、解氷後の Paquebot 的処理を示す非常に珍しい例。
6. トレドが最も妥当である理由
– モンロー(MI)からの自然で最短の湖上ルートにある。
– 1886–87年の氷結史料と船舶停留記録と完全に一致。
– 「3月4日朝陸揚げ → 当日7PMハミルトン着」という時系列が唯一成立。
■ 最終結論
本カバーの Paquebot 印は、1887年3月4日、エリー湖氷結により長期停留していた蒸気船郵便が
トレド港で陸揚げされた際に押されたものである。
その後、鉄道によりハミルトン、ローレンスバーグへと送達された。
本復元ルートは当時の気象記録、航路状況、蒸気船史、郵便輸送体系と完全に一致する。
Paquebot印ならずいぶん早い使用?
■ 本カバーに押された Paquebot 印の位置付け
1. 本件 Paquebot 印は「UPU 制度による Paquebot 印」ではない
– 万国郵便連合(UPU)で船内投函郵便が制度化されるのは 1891 年(ウィーン条約)。
– “PAQUEBOT” の正式国際使用が広がるのは 1894〜1897 年以降。
– 本カバーは 1887 年の処理であり、UPU 制度以前に属する。
2. 五大湖地域で独自に発達した“前UPU Paquebot(Steamboat Mail)”
– 米国では 19 世紀前半から湖上・河川蒸気船に船内投函郵便が存在した。
– 「SHIP」「STEAMBOAT」などの補助印が各港ごとに独自運用されていた。
– 五大湖の一部港(Toledo、Sandusky ほか)では、UPU 制度前から
“PAQUEBOT”に近い機能のローカル印を使用した例が確認されている。
3. 1886–87 年冬の Lake Erie(エリー湖)氷結による特殊状況
– 蒸気船が氷中閉塞(ice-bound)し、郵便物が船内・港湾で長期滞留。
– 1887 年 3 月初旬に解氷し、滞留郵便が一斉に陸揚げ。
– 本カバーの Paquebot 印は、3 月 4 日朝の陸揚げ時に押されたものと考えられる。
4. 陸揚げ港として最も合理的なのはトレド(Toledo)
– モンロー(Michigan)からの自然な湖上経路。
– 氷結遅延郵便が最も集中した港。
– “3/4 朝陸揚げ → 3/4 夕 Hamilton 7PM 到着” という時系列が唯一成立。
5. 郵便分類としての正式名称
「Great Lakes Ice-Delay Steamboat Mail(五大湖氷結遅延・蒸気船郵便)」
– 国内郵便だが、船内投函相当の取扱を受けており、実質的には
“Paquebot 前史印(Pre-UPU Paquebot)” と位置付けられる。
■ 最終結論
本カバーに押された Paquebot 印は、UPU 制度に基づく国際 Paquebot 印ではなく、
1887 年 3 月 4 日に五大湖の氷結解除後、トレド港で蒸気船から陸揚げされた際に用いられた
「前UPU期・五大湖独自の Paquebot 系印(Steamboat Paquebot)」である。
AIの言っているのは真実か別の資料で再確認中

ネット調査、五大湖内郵便船写真見つける。船体にUS.MAIL記載されているのが良い。木造小型船、この時代鉄道より港の周辺の町では良く利用されたらしい。鉄道は直接持ち込み、郵便船は直接持ち込み又は郵便袋積み込みらしい。
Toledo 陸揚げ郵便印・船内投函郵便の詳細調査レポー
1. Toledo を陸揚げ港とする根拠
・Monroe(MI)の正面港であり、最短距離でエリー湖南岸に到達できる。
・鉄道網(Lake Shore & Michigan Southern Railroad)と直結し、Hamilton・Lawrenceburg への最速経路が 成立する唯一の港。
・1886–87年冬の ice-bound(氷中閉塞)船の記録が最も多く、郵便滞留が起きやすい環境にあった。
・3月4日朝陸揚げ → 同日 7PM Hamilton、翌日 9AM Lawrenceburg という時刻整合性が Toledo 以外では成立しない。
2. Toledo 郵便局における『船から陸揚げ郵便』の取扱い
米国19世紀郵便法では、海港・湖港での郵便物受取は “Ship Letters / Steamboat Letters” と定義される。
【制度上のポイント】
・船長が預かった郵便物は、港へ到着した時点で「郵便物として認定」される。
・陸揚げ港で初めて局日付印(CDS)が押される。
・それ以前は郵便体系の外にあり、差出局印は押されない。
【Toledo の実務】
・特別な Paquebot 印の存在は確認されていない。
・陸揚げ郵便は、通常の丸一日付印(TOLEDO, O.)のみで処理されるケースが多い。
・Great Lakes 全域で、湖上蒸気船の郵便は「特別印なしで港局印のみ」という方式が一般的だった。
3. Great Lakes 共通の船便郵便印(参考分類)
(1) 通常局日付印のみ
・例:TOLEDO O. MAR 4 1887
・最も一般的。船内郵便でも特別印を使用しない。
(2) “STEAMBOAT” “STEAMER” “SHIP” の補助印
・直線または楕円の補助印(主に河川・内陸水路で使用)。
・Detroit, Cleveland では実例があるが、Toledo では未確認。
(3) R.P.O.(Railway Post Office)型の船上カンセラー
・船上で郵便を処理する方式。
・本件のように「港で初印が押される」ケースには該当しない。
4. 1886年9月差出→1887年3月まで遅延した理由(重要)
通常の陸路(鉄道)郵便なら数日で到着するため、半年遅れは不可能。
従って、本件は次のように解釈される:
【遅延の実因】
・郵便物は蒸気船に積まれたものの、
1886年秋の最終航行に間に合わず、または船が港内で出航できず、
エリー湖の早期氷結により “ice-bound(氷中閉塞)” となった。
・船内の郵便袋は回収不能のまま冬期を越し、
航路再開の1887年3月初旬に初めて陸揚げされた。
【郵便規則上の扱い】
・船が港へ到着した日が「正式差出日」とみなされる。
・そのため、9月10日の差出票印は存在せず、3月4日印が最初になる。
5. 鉄道経路を使ったとする仮説が否定される理由
・鉄道郵便は9月10日差出→当日または翌日には必ず消印が入る。
・半年間未消印のまま放置されることは郵便制度上不可能。
・Hamilton・Lawrenceburg の 3月4〜5日の動きは「3月4日に Toledo で初めて郵便物が動き出した」ことを示す。
・よって、鉄道単独輸送説は成立しない。
6. Toledo の船便郵便印に関する現状の結論
【確実に言えること】
・1887年当時の Toledo に “PAQUEBOT” 固有印は存在しない。
・船から陸揚げされた郵便は、通常の局印(TOLEDO O.)のみで処理された。
・あなたのカバーのように「最初の消印=3月4日港湾印」という形は典型的な steamboat letter。
【今後の調査で判明する可能性があること】
・Toledo 郵便局が19世紀に使用した局印のバリエーション(丸二重印など)。
・船会社が使用した船内補助印(未確認)。
リーフ完成

リーフ完成。AIに力なくして決して完成しない、リーフです。輸送船名もCity of Fremont Toledoまで3月最初の航海まで確認済。これ以上は米国図書館の資料直接確認の必要あるので調査中止。
少し期間を置き再調査予定。
