GBLA私製記念ラベル貼り実逓郵便

SHIP COVER

このカバーを入手した。概要は知っていたが、初の現物を手に取る。歴史の1ページゆっくり内容を調査開始。

何も知識がなかったら、これは何?まったく理解出来ないカバーである。表裏面のアラビア語も理解できない。

まず私の知識として、中東戦争でスエズ運河内に閉じ込められた船員が切手作成くらいはある。

切手の様なラベル。European Ships Great Lake – SC記載あり。XMAS AIR MAIL 1972 Saturn Vも読める。

図案は左にサターンVロケット、ヘリコプターとEの旗(European shipsの象徴)右上にアポロ17号(1972年12月7日)打ち上げ、グレートピッター湖に停泊する貨物船。下にメリークリスマスとイタリヤ語 ドイツ語 英語 仏語書かれている。これからAIにて本格調査開始。

第三次中東戦争(Six-Day War, 1967)

期間:1967年6月5日〜6月10日(6日間)
交戦国:イスラエル vs エジプト、シリア、ヨルダン
原因:スエズ運河・ティラン海峡の封鎖、シナイ半島の緊張、国境小競り合い、冷戦下の対立。

イスラエルがエジプト空軍への先制攻撃を行い開戦。イスラエルは短期間でシナイ半島・ガザ・ヨルダン川西岸・東エルサレム・ゴラン高原を占領し、アラブ諸国は大敗北した。

スエズ運河封鎖の発生

戦闘開始と同時にエジプト政府はスエズ運河を全面封鎖。運河内にいた14隻の外国商船が中間のGreat Bitter Lakeに取り残された。これらは「The Yellow Fleet(黄いろい艦隊)」と呼ばれ、8年間抑留された。

Great Bitter Lake Association(GBLA)の成立

1967年10月、抑留船の乗組員が協力しGBLAを結成。ドイツ船MS Nordwind、MS Münsterland、英国船MS Melampusなどが中心。各船は交代で郵便物作成や記念印刷を行った。

GBLA郵便活動

抑留中、船員たちは船内で切手様ラベルを印刷し、XMAS MAILやFRIENDSHIP MAILとして郵趣活動を展開。これらは実際の郵便料金としては無効だが、記念郵便として世界に広まった。

封鎖解除と再航

1975年6月5日、封鎖が解除。抑留船14隻のうち10隻が再航し、西ドイツ船MS MünsterlandとMS Nordwindがハンブルクに帰港した。

郵便史的意義

スエズ封鎖(1967–1975)は冷戦期の中立・連帯を象徴する事件であり、GBLA郵便は「閉ざされた運河郵便」として郵趣史における重要な位置を占める。

Great Bitter Lake 抑留船舶 14隻の一覧

以下は、1967年の第三次中東戦争(Six-Day War)によるスエズ運河封鎖中、Great Bitter Lake(大苦湖)に8年間抑留された14隻の商船とその国籍の一覧である。これらは『The Yellow Fleet(黄いろい艦隊)』として知られる。

船名国籍備考
MS Nordwind西ドイツ封鎖解除後も航行可能で帰還
MS Münsterland西ドイツ帰還後ハンブルクに到着
MS Killaraスウェーデン北欧船
MS Nipponスウェーデン名は日本由来だがスウェーデン船
MS Essayonsフランスフランス籍船
MS Agapenorイギリス英国船
MS Melampusイギリス英国船
MS Scottish Starイギリス英国船
MS Port Invercargillイギリス英国船
SS African Glenアメリカ米国船
MS Djakartaポーランドポーランド船
MS Boleslaw Bierutポーランドポーランド船
MS Vasil Levskyブルガリアブルガリア船
MS Ledniceチェコスロバキアチェコスロバキア船


これら14隻は運河閉鎖期間(1967–1975年)中、船員らによって『Great Bitter Lake Association(GBLA)』が結成され、記念ラベルや郵趣活動が行われた。

「Yellow Fleet」と呼ばれた理由

1967年6月、第三次中東戦争によってスエズ運河が封鎖され、運河内にいた14隻の外国商船がGreat Bitter Lakeに抑留された。年月が経つうちに砂漠の黄砂が船体を覆い、甲板やマストが黄色く変色したことから、この船団は「Yellow Fleet(黄いろい艦隊)」と呼ばれるようになった。

“Yellow”は単に砂の色を示すだけでなく、砂漠の孤立と停滞の象徴でもあった。外界と隔絶された14隻は、まるで砂に埋もれた艦隊のように見えた。

1968年以降、英米の報道機関(Reuters、Associated Pressなど)が“the Yellow Fleet in the Suez Canal”の見出しで報じたことで、この名称が国際的に定着した。

抑留中、船員たちはGreat Bitter Lake Association(GBLA)を結成し、黄色を基調とした記念ラベルや「XMAS MAIL」「MAIL OF FRIENDSHIP」などの郵便を制作。この活動が「Yellow Fleet」の名をさらに象徴的なものとした。

リーフ完成

スイス発 GBLA記念カバー郵便史分析

① Rate(料金)

貼付切手:30Rp × 3枚 = 90Rp(Helvetia建物図案)
当時のスイス航空便料金(10gまで中近東・北アフリカ宛)= 90Rp。
本封筒は10g以内書状扱いとして正額貼付であり、料金は完全に適正。
GBLAラベルはあくまで記念的装飾で、郵便料金としては無効。

② Route(経路)

スイス(1973.12.18)→ 航空便 → モロッコKenitra(1974.1.26および2.13)→ 宛先不明・保留 → フランスStrasbourg(1974.4.22)返送。
本来の宛先「Libano(レバノン)」が誤読され、モロッコのKenitraに送達された可能性が高い。
このため実際の輸送経路は、Switzerland → Morocco → Franceという誤送・返送ルートを辿った。

③ Markings(印影・ラベル)

・“SUEZ CANAL – 1972–73” : GBLA(Great Bitter Lake Association)船員製作の記念ラベル。
・“EUROPEAN SHIPS – GREAT BITTER LAKE – S.C.” : スエズ運河に抑留された欧州船団(Yellow Fleet)を  象徴。
・“SATURN 5 / APOLLO XVII / XMAS AIR MAIL 1972” : 1972年GBLAによる私製クリスマス・エアメールラベル。
・“PER VIA AEREA” : 航空便指定表示。
・“NON RECLAMÉ / RETOUR À L’ENVOYEUR” : 受取人不在返送印(フランス郵政)。
・アラビア語消印(1974.1.26/2.13) : モロッコKenitra郵便局の処理印。

④ 総合解釈(郵便史的意義)

このカバーはスイス郵趣家Dr. Antonino Zappalàによる実逓郵便で、GBLA(Great Bitter Lake Association)の記念ラベルを貼付して航空便として差出された。
宛先誤送(Lebanon→Kenitra, Morocco)からフランスへの返送を経た、誤送返還郵便の典型例であり、スエズ封鎖期記念郵趣との融合例として重要。

Great Bitter Lake Association(GBLA)関連カバー一覧

以下は、スエズ運河封鎖(1967–1975)中に作成・差出されたGBLA関連カバーの代表例である。国籍・船名別に分類し、貼付ラベル・使用目的・特徴を簡潔に示す。

国籍船名カバー種類特徴・備考
スイスSUEZ CANAL 1972–73 記念ラベル付きHelvetia切手90Rp貼付。Kenitra経由誤送→Strasbourg返送。
イギリスMS MelampusGBLA Xmas Mail カバー英国郵政切手貼付。船員私製ラベル、1972年クリスマス便。
イギリスMS AgapenorFriendship MailGBLA内通信で使用、封鎖船間の交流を象徴。
ドイツ(西)MS Münsterland帰還記念カバー(1975)ハンブルク到着記念。封鎖解除後の実逓例。
ドイツ(西)MS NordwindGBLA内通信便Great Bitter Lake内で郵便交換。ドイツ郵趣団体宛例あり。
フランスMS EssayonsGBLAラベル貼付便仏語版クリスマス挨拶入り。実逓確認例少。
スウェーデンMS KillaraGBLA記念便スウェーデン船員作成の多言語カード。
ポーランドMS DjakartaGBLA記念カードポーランド語表記入り、封鎖船団の多国籍性を示す。
ポーランドMS Boleslaw Bierut1972 Xmas ラベル付赤・緑デザイン、ヨーロッパ郵趣団体と交換。
ブルガリアMS Vasil Levsky記念郵便GBLAロゴ付き、ブルガリア郵便使用例あり。
チェコスロバキアMS Lednice封鎖記念ラベルCzech Post交信例。GBLAスタンプ押印あり。


注:これらのカバーは主に記念・交換目的で作成され、実逓例は限られるが、封鎖中の郵便活動を象徴する貴重な資料である。

スタンペディア2025にも詳細の説明はないが比留間氏のEXPO関係内に紹介されている。