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PHILAKOREA 2025参観記

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9/17-21韓国でのPHILAKOREA2025行き準備完了

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参観記

9月17日、PHILAKOREA2025参観のために福岡空港を飛び立った。新山口から博多まで30分、飛行機で60分。あっという間に韓国仁川空港に到着した。入国手続きもスムーズに通過し、40分で金浦空港近くの会場COEX MAGOKへ着いた。初日は気力充実、約2000フレームに及ぶ多数の作品から概要を確認した。

日本からの参加者は現代日本郵趣界の巨匠であることを展示リストで確認した。何を見るべきか。世界中から多数の作品が集まっている。あとは自分のコレクションの参考となる作品を探すだけである。初日は3時間、切手店と作品配置を見学した。

2日目はホテルで観覧リストを作成。2時間集中して携帯で写真撮影を行った後、読める部分の英文説明を確認した。理解できた部分もあり、不明な部分もあった。

3日目は作品展示技術の研究。ダブルリーフが多く、大型封筒が有効に使われていた。日本の郵趣界のような単片切手の消印並べはなく、使用済切手は封筒で展示するという規定が守られていた。

4日目の午後には審査結果の発表があった。ラベルで受賞作品を確認。最初に見た作品の印象と賞を比べ、自分なりに再評価を行った。

5日目は最終確認必要なリーフの写真を撮り、その後ソウル中央郵便局経由で仁川飛行場へ直行して帰国した。

自分のコレクションの充実のために

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仁川港の手持ち封筒船函印(1902.8.16仁川差出、8.18釜山消印)の内容を確認するため仁川港に向かった。

幸い、完成したばかりの開港記念館に郵便関係資料があり、税関や郵便局の場所、岸壁等を確認することができた。出発前輸送船が、大阪商船・隅田川丸であることをAIが皇城新聞で確認していた。

最終日、展示場で再確認すると、同じ山口県大島郡沖家室島金井様宛ての封筒を見つけた。宛先がこの封筒と同じであり、同じように仁川差出し、釜山消印後大島郡に配達されていた。仁川差出しでなぜ仁川消印がされなかったかの疑問も、同様な取り扱い便見つけ、この時代は外国便 (日本宛て) こういう扱いをしたのだと納得した。ネット情報によると金井家は沖家室島の名家らしい。

その後東仁川の古本屋街で博物館展示の1904年絵はがき示して関係資料探した。当時の日本局の所在地が地図上に表示されてないか等、親切な女店主が仁川港開港関係の本を4冊見つけてくれた。しかし開港記念館展示の内容と同じで新しい情報は見つからなかった。潮高さ6~10mのこの港は1906~1918年に掘割ドック建造され、その後は潮高の影響を受けない良港となった。私が船乗り時代に何回も寄港した仁川港は、昔の港の南側のこの掘割ドック内である。

1枚のリーフ完成のため、はるばる仁川港訪れ、幸運にも目的の成果があり、感動の旅でした。

国際展の見学も初体験、とても世界のコレクションには到達は不可能だが、展示ストーリー展開には何か役立つことだろうと思う。