バンクーバーPaquebot印 関東大震災記載あり

SHIP COVER

なんでも鑑定団

なんでも鑑定団で山口市阿知須の某氏、関東大震災後のペン消し外国便が100万円と評価された。近所にお住まいだが知り合いでないので、へーと言う思いで見ていた。

昔集めたPaquebotカバー整理していたら、このはがき発見。

1923年10月11日東京差出。フランス宛て、カナダバンクーバー英文機械消し。1923年10月22日、パックボーの表示なしだが、日本切手8銭貼り。船便国際料金である。日本船に横濱停泊中投函後、公海にて受付か? また横浜で外国船に投函、領海内なので日本切手で受付か? そう言えば自分の誕生日近いと、入手時思ったことを思い出す。

料金からすると外国船の可能性が高い。

文面からThis picture shows what happened to the roads during the Sept 1st earthquake. My office did not burn. 読みやすい英文で記載されている.(この写真は9月1日の地震の際道路に起こったことを示している。私の事務所は焼けませんでした。)

関東大震災

関東大震災関連か? 震災切手収集範囲以外、あまり興味なしだが、データーAIと共に調査開始した。

裏面記載の写真である。御殿場付近の道路の亀裂が移されている。震災1月後までの外国宛て郵便は少ないと言われているので、このはがきも少しは価値があるのでは。とブログにアップした。

輸送ルート横濱から北太平洋経由バンクーバー。投函から11日で10月22日到着その後鉄道でニューヨークへ。

11月1日推定。船で大西洋横断10日。11月10日頃か? 英国か仏国の到着地から鉄道2日到着推定。11月12日頃にはフランス到着だが、残念到着印なし。まあ郵便史には使えるかな、とあれこれデーター収集。

まず船名確定のため日本の告示、神戸コレクションCD等で調査。しかし震災のためかデーターなし。AIの助言でカナダの資料でバンクーバー到着船、当時の新聞で調査すれば良いらしい。当時の日本郵船シアトル航路確か3隻で運航? 震災後1月で定期航路復活可能なのか?

カナダのEmpress クラスが3-5隻就航か、何とかネット経由で調査したいのだが?  AIの助言ではEmpress of AsiaとEmpress of Russiaの可能性が強いらしい。スピード19ノットの高速船らしい。

まだ仮リーフ作成までのデーターも集まらない。暇つぶしのはがきが見つかっただけでも良いか? 完璧に説明できればこのはがきの価値もUPか? 

郵便史、日本郵趣出版の裏表紙にも写真あり!

日専を読み解くシリーズ 郵便史 裏側カラーにて表示、1923年10月24日横濱からエジプト、アレクサンドリア宛 1923年12月1日到着の書留便。これは差出日到着印ありなかなかである。日付的には10月23日なのでほぼ同時期である。関東大震災興味なく今まで気が付かなかった。

またまた貴重な画像見つける

郵趣カラーページ2023年11月、朝から探し物していたら、偶然このカラーページ切り抜きを見つける。

JAPEX出品作品、著名なコレクター鎌倉達敏氏の作品紹介。実物見たが思い出せない。急遽この本注文。

これはペン消しに焦点が当てられているが、日付的には私のはがきと同じ。データー再チェックです。

横濱、裏面差出日付10月11日。消印ニューヨークの書留中継印不鮮明。拡大表示。

NOV 07または17日、よく見てもどちらとも見える。到着印は鮮明、プラハで11.30確定。

日数的な計算では、ニューヨーク17日大西洋10日。11月27日欧州着11月30日プラハ着だが? 裏面の10月11日差出ならニューヨーク到着は11月7日だが? 

同じルートのカバー

同じルートのカバー、しかしはがきと封書書留便では格が違うか? 郵便史的には同格とも思えるが?

早急にカナダのバンクーバー到着情報から、輸送船名確定。大西洋輸送船名も調査開始したい。

とにかく仮貼りリーフ作成、多数のパクボー便のはがきから一段上のリーフ状態で保存である。これも調査重ねて成熟の必要なはがきである。

官報告示を調べる

官報告示に何か情報は?

同じ日付のペン消しがあると言うことは? なにか外国便の受付の郵便局からの知らせがあり投函されたのでは?

新聞にそのような情報が出たのか?

疑問わき調査開始、一歩一歩である。日本人は集配局に渡し、ペン消し。

外国人は外国便再開というより、太平洋横断船再開ニュースまたは外国人同士の情報から本船を直接訪れ渡したか?

1日フルに集中、告示読み、ビデオ見直し。結果出る!

単々告示i-padで読む。8/30異常なし。9/2手書き 官報告示帝国憲法第八条に依り非常微発令を裁可しこれを交付する。関係資料を探す。9/18 上海丸、長崎丸の品川 横濱 神戸までの避難民輸送の往復スケジュール。

関係ないものが多いが10/8 告示第3339号で本牧沖灯浮標復旧 10/10 告示第3341号で東京湾第3海保灯台の変更復旧等あり外航船航海復旧の様子がうかがえる。11/2まで告示読み続けるが正式の外国郵便受付開始の告示はなし。

諦めて5月6日放送、なんでも鑑定団再確認する。

ビデオ見直し

1923年9月20日TOKIOの消印。赤のTペン消し、横濱差出東京消印が珍しいらしい。米国宛で到着印他はなし。

郵便局の崩壊写真確認のみ、新しい情報なし。

到着消印再確認。1923.10.22 6 PMである。

この日付なら船は10月22日の朝には入港と推定。カナダ バンクーバーの新聞日付設定検索する。

ラッキーVictoria Daily Times見つかる。バンクーバー入口の港町である。マイクロフィルム見るが不明。JAPANで検索かけると1発ヒットである。1面左下Japan Seeking内に今朝入港船の名が…….。1日検索で疲れきり、画像抜き出しホッとする。まだリーフは作成できず、今日は終了。

船名はEmpress of Russiaである。

あまり関係ない材木とスティルーの記事の一部に発見ラッキーである。

passanger on the CP 8.8. Empress of Russia this morning。

(今朝セントラルピアー8.8. 着岸の客船エンプレス オブ ロシア)

まあこれで仮リーフ作成。明日の仕事である。外航船横濱出航第一船か? 少し追加の資料本入手調査継続である。

AIは賢い。私が1日で探した情報を1分で検索、関係船2隻に絞り込むとは。余り早いので信じることができなかった自分が愚かである。

AIにこのはがきの価格調査してもらった

1923年関東大震災はがき(Empress of Russia 経由・仏宛)の価値評価

Layered Value Assessment of 1923 Great Kanto Earthquake Postcard (via Empress of Russia, to France)

評価項目
Evaluation Category
内容(日本語)
Description (Japanese)
内容(英語)
Description (English)
加算額(円)
Added Value (JPY)
基本実逓葉書(震災期)1923年10月11日差出。関東大震災後の混乱期に差し出された郵便。Posted on 11 October 1923 during the post-quake disruption period.12,000
震災被害写真付き御殿場の地割れを写した写真付き絵葉書。Postcard with image showing ground cracks in Gotemba caused by the quake.7,000
一次証言文面あり「オフィスは燃えなかった」など震災の被害状況を直接記載。Direct message: ‘My office did not burn’—firsthand earthquake account.8,000
国際宛先(フランス)トゥール市宛。欧州宛の震災実逓例。Addressed to Tours, France – rare European destination.5,000
正規料金貼付(8銭)国際船便はがき料金として正規の切手が使用。Proper franking of 8 sen ship letter postcard rate.2,000
カナダ・パクボ印(バンクーバー)カナダ・バンクーバーのPAQUEBOT消印が明瞭に押されている。Clear PAQUEBOT marking from Vancouver, Canada.15,000
船名確定(新聞資料)Empress of Russia によって輸送されたことがビクトリア新聞で確認。Confirmed transport by Empress of Russia via Victoria newspaper.20,000
保存状態(極上)消印・文面・切手が明瞭で全体の保存状態も非常に良好。Excellent preservation: clear cancels, message, and overall condition.5,000
仏宛Paquebot使用例の希少性Vancouver経由フランス宛Paquebot使用例は非常に希少。Use of Vancouver Paquebot on French mail is extremely rare.30,000
唯一性・展示映えこの単品で展示作品のタイトルページを飾れるレベルの完成度。Exhibit-worthy as a standalone title-page highlight.40,000

なかなか合理的積み上げ方式評価と思う。なんでも鑑定団100万、ワ~よりコレクターにとっては参考になることが多い。どこを見て歴史的カバー入手するかには大いに参考になった。また英文表示、オークション出品解説文作成という関連作業すぐにやってくれるのも面白い。この価格で売却できるかは不明、入手希望のコレクターが何名存在するか等が価格の目安となる。

やっと仮リーフ完成

調査事項多数。やっと仮リーフ完成。

調査に苦労した分、成果も多数。

得意の航海計算した。4265マイル、横濱発12日16時推定、日本カナダ時差16時間。バンクーバー時間12日00時これに航海速力18ノットで9日と21時間。到着は21日21時。荒天他通常航海で22日朝着は妥当な時間である。

ここまで記載したリーフ完成。一休みである。

1923年10月1日 Victoria Daily Timesを読む

日本向け郵便締め切りリストから10月1日

横濱出航日

第一船 Empress of Asia 9/16横濱推定 10/4ビクトリア記事 10/15横濱

これは間違い横濱寄港だが、神戸に向かい郵便物積み込み、香港起こしで航海再開判明

Empress of Russia 9/20 横濱推定 9/29ビクトリア推定

Empress of Australia 10/2 横濱新聞記事 ビクトリア10/11

Empree of Canada 10/9横濱推定ビクトリア10/18記事10/29横濱

Empress of Russia10/12横濱 10/22 ビクトリア確認済

AI時間はかかるがVictoria Daily News自動読み込み可能となる。追加情報ゆっくり取得開始。

震災後の大桟橋の絵はがき見つける

東洋汽船の絵はがきから大桟橋破損状態見つける。

大型船、左右4隻接岸のため、2隻分延長部分今で言うドルフィン延長部分岸壁が波打っている。

東洋汽船春洋丸、延長部分セメント以外木造部分脱落している。右後方の電柱傾いたままである。当座使用可能なので大型船は接岸している。

Chat GTP AI Agentで情報再収集2025.11.3

久しぶりに、新しいChat GTP AI Agent使用方法テストのため情報再収集した。下記最新情報です。

関東大震災後の船舶運行と新聞報道の調査

ビクトリア(カナダ)新聞が伝えた状況

ビクトリアの地方紙「Victoria Daily Times」は地元にカナダ太平洋汽船の代理店があり、1923 年9 月上旬の船舶運行や被災状況を詳しく報じている。

エンプレス・オブ・オーストラリア号の動き

  • 神戸出航日 – 同紙1923年9月15日付の海運欄は「カナダ太平洋汽船のエンプレス・オブ・オーストラリア号が 9月12日に神戸を出港した」と記述し、ビクトリアの代理店は次の航海予定として10月11日の出航を公示した【424916719375455†L4115-L4131】。この記述は、震災当日に横浜港に接岸していた同船が救助活動後に12日に離岸したことを裏付ける。
  • 横浜での被災状況 – 同紙が引用した通信記事では、アメリカの客船「プレジデント・ジェファーソン号」に乗船した記者の報告として、「外国船の乗組員が横浜に入り被災者を救出した」と伝えている【424916719375455†L933-L953】。同記事で乗客たちは、エンプレス・オブ・オーストラリア号などカナダ太平洋汽船の船員が、煙に包まれた横浜港に果敢に乗り入れ避難民を救ったと証言している【424916719375455†L933-L951】。
  • 神戸行き救援船としての役割 – 横浜滞在中、同船は岸壁が崩壊するなどの危険にさらされ、アンカーの鎖が他船のアンカー・チェーンに絡まりプロペラが故障したため出航できなかったことが、日本語版「Japan Weekly Chronicle」に掲載された被災者の証言から確認できる。証言によれば、乗客が見送りのために桟橋に集まっていた際に地震が発生し、桟橋が両端から切断されて人々が海に落ちた。エンプレス・オブ・オーストラリア号はバックしようとしたが、スティール・ナビゲーター号のアンカーチェーンがプロペラに絡み付いて動けず【421719928941196†L139-L157】、翌日まで岸壁に係留されていたという。この証言は、後に船が離岸できたのは他船の協力やダイバーによる作業のおかげだったことを示している。
  • 救助活動 – 震災当日は巨大な火災と暴風雨により海上での救助が困難であったが、夕方になると救援船がボートを出し、エンプレス・オブ・オーストラリア号やアンドレ・ルボン号、オランダ船Tjisalekなどが水面に漂う人々を救助した【421719928941196†L120-L130】。同船は船内に収容した女性や子供を優先的に保護し、後にエンプレス・オブ・カナダ号に負傷者を移して神戸へ運んだ【421719928941196†L215-L229】。

エンプレス・オブ・アジア号とエンプレス・オブ・ロシア号

  • エンプレス・オブ・アジア号の運行予定 – ビクトリア紙は郵便欄で「エンプレス・オブ・アジア号の郵便閉鎖は10月4日午後、横浜着は10月15日、上海着は10月19日、香港着は10月21」と掲載している【424916719375455†L4599-L4609】。これは9月中旬時点で同船が太平洋横断航路に復帰していなかったことを示す。
  • エンプレス・オブ・ロシア号の派遣 – 同紙の社会欄では、ブリティッシュ・コロンビア州赤十字社が被災地支援のため看護婦を横浜へ派遣し、前週出航したエンプレス・オブ・ロシア号で向かわせたと報じている【424916719375455†L1030-L1036】。これはロシア号が震災直後の救援物資運搬に利用されたことを示している。

救援船プレジデント・ジェファーソン号の記事

ビクトリア紙はアメリカ船プレジデント・ジェファーソン号が9月2日に白石(清水)港で震災を知り、船を横浜へ引き返して多数の外国人を救助したという特集記事を掲載した。記事には、記者やカメラマンが同船で帰国する場面や、被災した外国人の証言が詳しく載っている【424916719375455†L388-L503】。この報道から、北米西海岸の新聞が震災の詳細を追い、被災者が乗船して帰国する様子を追跡していたことが分かる。

香港からの報道・資料

1923 年8月18日の香港台風とエンプレス・オブ・オーストラリア号

関東大震災の約半月前、1923年8月18に香港で大型台風(ホンコン台風)が発生し、客船エンプレス・オブ・オーストラリア号が香港港で被災した。香港の産業史研究サイトは、インドシナ・スチーム・ナビゲーション社の貨物船Loong Sangがオーサカ商船会社の埠頭近くで沈没し、多数の死者を出したと報じている。記事中の写真説明では、

  • 「Loong Sangが沈没した直後に撮影された写真で、Empress of Australiaが台風をやり過ごす様子が写っている。写真撮影時には仏蘭西郵船アンドレ・ルボン号が係留索を切り、エンプレス号に流されてきたが、幸いすれ違って外海へ出て行った」【756855579612898†L44-L53】と記されている。

この記述から、エンプレス・オーストラリア号は香港出港直前に台風のため長時間停泊を余儀なくされ、香港の新聞でもその様子が報じられていた可能性が高い。台風後に同船が香港を出航し、横浜に到着したのが震災発生直前であることから、香港出港記録と震災時の行動が連続していることが分かる。

日本語英字紙『Japan Weekly Chronicle』による詳細報道

香港に拠点を置く新聞の代わりに、横浜に本拠を置き香港でも配布されていた英字紙Japan Weekly Chronicleの1923年9月13日号が、震災当日の状況を詳細に伝えている。紙面の個人報告によると:

  • エンプレス・オーストラリア号は横浜埠頭から出航直前に大地震に遭遇し、桟橋が両端から切断され乗客や見送り客が海に落ちた【421719928941196†L139-L148】。同船は船尾のプロペラが他船のアンカーチェーンに絡まって動けなくなったが、火災が迫る中で救援のため残った【421719928941196†L149-L156】。
  • 夕方になると、アンドレ・ルボン号やオランダ船などと共にボートを出して、海に漂う人々を救助し、女性や子供を優先的に船に収容した【421719928941196†L120-L130】。
  • 他方で多数の重症患者を船内の病室へ収容し、エンプレス・オブ・カナダ号に移乗させて神戸へ搬送したと報じている【421719928941196†L215-L229】。この記述は、後にビクトリア紙が報じた「カナダ号は9月3日に横浜へ入り、負傷者と避難民を乗せて神戸へ運んだ」という情報と符合する。

調査のまとめ

  1. ビクトリア紙の重要性 – Victoria Daily Times はカナダ太平洋汽船の動静を正確に伝えており、9月12日にエンプレス・オブ・オーストラリア号が神戸を出港したこと、エンプレス・オブ・アジア号の到着予定、エンプレス・オブ・ロシア号による救援看護婦輸送などを報じている【424916719375455†L4115-L4131】【424916719375455†L4599-L4609】【424916719375455†L1030-L1036】。これらの記事から、震災後の航海計画や郵便閉鎖日が分かる。
  2. 香港側の情報 – 香港では8月18日の台風時にエンプレス・オーストラリア号が港内で遭難寸前だったことが報道されており、Industrial History HKの記事はその様子を記録している【756855579612898†L44-L53】。また、横浜在住者が記した『Japan Weekly Chronicle』の報告は香港でも配布され、同紙はエンプレス・オーストラリア号の救援活動や出航の遅延を詳細に伝えている【421719928941196†L139-L157】。日本人や外国人の証言を含むこの報道は、現場の混乱や船員の対応を知る重要な一次資料である。
  3. 各船の役割 – 調査で得たビクトリア紙やChronicle の記事を総合すると、
    1. エンプレス・オーストラリア号 – 震災発生時に横浜港で被災者救援の中心となり、プロペラ故障で出航できないまま火災と闘いながら救助を続け、9月12日に神戸へ出航【421719928941196†L139-L157】【424916719375455†L4115-L4131】。
    1. エンプレス・オブ・カナダ号 – 9月3日に横浜へ到着し、負傷者・避難民を収容して神戸へ搬送。Chronicle の記事によれば重症患者をオーストラリア号から引き継ぎ神戸へ向かった【421719928941196†L215-L229】。
    1. エンプレス・オブ・アジア号 – 9月中旬に横浜を訪れ、避難民を乗せずに9月22日にビクトリアへ到着したと他資料に記される。ビクトリア紙は次航海の郵便閉鎖日・到着予定日を示している【424916719375455†L4599-L4609】。
    1. エンプレス・オブ・ロシア号 – カナダ赤十字社が看護婦を横浜へ送るために使用し、震災後間もなく救援物資とともに出航した【424916719375455†L1030-L1036】。

結論

ビクトリアの新聞は、関東大震災発生後のカナダ太平洋汽船各船の出航日や救援活動を詳しく伝えており、現地の実情を示す重要な資料である。特に1923年9月15日付「Victoria Daily Times」は、エンプレス・オブ・オーストラリア号が9月12日に神戸を出港したこと、エンプレス・オブ・アジア号の郵便閉鎖日と横浜到着予定日を掲載し、救援に向かったエンプレス・オブ・ロシア号についても報じている【424916719375455†L4115-L4131】【424916719375455†L4599-L4609】【424916719375455†L1030-L1036】。一方、香港側では8月18日の台風による港内事件や、その後横浜での救助活動を報じる記録が存在し、エンプレス・オーストラリア号が震災前後に果たした役割を裏付けている【756855579612898†L44-L53】【421719928941196†L120-L130】。これらの情報を突き合わせることで、震災直後の郵便輸送や救援活動の実態をより正確に理解することができる。

検索機能強化、ネット内マイクロフィルム内容検索可能。機能大幅アップ

わずか3月でこれほど機能アップ。以前は資料のある場所を見つけてもその後の検索に手数と時間が必要だったが、9月からのAgent機能ファイルPDF内検索可能になり、過去の新聞検索は3-5分。ありがとう、ありがとうAI大先生である。