スタンペディアオークションでは良い品はなかなか落札難しい。熱心コレクターはよく見ている。残り少ない日本の収集家も貴重品には高額入札である。このサンフランシスコpaquebot印カバー入札なし。価値なしか、少しがっくり。
受取保存用リーフ作成。難解な手書き日本語の文字AIの力を借りて解読。米国製AI英文手書き解読は得意であるが、仮名交じりの日本語解読は苦手の様である。あれこれ質問送信者がこの手紙投函後、訪れる目的地はを尋ねるとラッキー私は船乗りという個所を見つけてくれる。しっかり見ると・・・この仕事を2-3年やらねばならない、読めるOKである。手紙を上部に封筒を下にリーフ案も固まる。封筒の裏にはNYK日本郵船のロゴあり。便箋にもNYK LINE二引きの社旗があることを見つける。投函船名書くように***MARUとあるが未記入。
これは日本郵船で、船名確定できるとi-pad常で官報告示を探す。第3696号5月5日横濱出港6日午前平安丸ホノルル経由サンフランシスコ見つける。久しぶりに官報告示がヒットさっと平安丸確定、気分良い。
Paquebot赤印長期に使用、珍しい印ではない。Hosking カタログで#995調べ使用期間1924-1958年確定。
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郵便史らしき下書きは完成。料金記入忘れ。4銭1939年国内書状料金問題なし。20gまで1923年4月1日から1942年3月31日まで。書き換え時リーフに忘れず記入である。
国際便20銭から比べると14銭安い。パックボー便の利点である。
逓送ルートの確認。平安丸船上からホノルル入港前書いている。文面から荒天でホノルル入港2日遅れる。
投函は消印から1939年5月24日サンフランシスコ。その後日本の福島県に送付。途中の中継印、到着印等何もなし。それ以上のデーターなしで郵便史できないか? 平安丸船員投函手紙のみか?
リーフ完成ほっとして一休み。
なぜサンフランシスコ投函か?
あれこれ考えパックボー投函するより、そのまま平安丸船内印で処理して復航横濱港で投函しても到着は同じではないか? 飛行機便のない時代陸揚げしても、次の日本横濱行きまで待つと2-4週間遅れの到着では?
手紙を唯一の通信手段としていた、あの時代船員は手紙が早く到着方法を知っていたはず。昔の船乗り生活を思い出しました。北米航路シアトルとサンフランシスコの距離を比較すると5日くらいの差か?
距離表探し出し詳細計算しました。5月ホノルル経由は気圧配置の関係で荒天が続く。陸上鉄道サンフランシスコ シアトル間入れても早着。
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久しぶりに大圏航法思い出した。地球は丸い、北に回れば早い。航路選定、航海士の原則である。
横濱シアトル4261。横濱ホノルル3443、ホノルル シスコ2092。
6535-4261=2274マイル 速力15ノットで6日半の差。
やはりホノルル停泊、天候等を考えると1週間くらい早着である。
久しぶりに航海士になった。退屈な日々暇つぶし。手紙付きのリーフ完成、輸送経路も判明、気分良い。
郵便料金 国内封書
料金は東郷4銭切手貼り。 1937年4月1日よりの国内封書料金で問題なし。あれー UPUカラーではない。1883年発売小判切手2銭より続いたUPUカラー封書料金、赤を忘れたか?
パックボー便投函手紙に料金書類は添付するが、安易に区別する方法はこのUPUカラーで一目で判断できるのではなかったか? 暇なのでまた課題ができた。なぜUPUカラー廃止か調査継続。