JAPEX 2024 作品

SHIP COVER

1年間あれこれ模索してやっと出品作品、完成ホッとした一瞬である。申込書作成トップリーフ添付e-Mail添付で送付した。これから16リーフ最終チェックである。

Postal History : Stampless letters carried by maritime mail via Panama

表題トップリーフの内容もも英文から日本語に変更。その分英文の不自由から抜け出し、簡単な紹介からより内容を説明できたと思うが、まだここ一つ満足できず時間切れである。もう少し計画的に集中力高めリーフ構成前に表題トップリーフ作成すべきだった、反省である。

英文から日本語に

手持ちカバーは余り増加せず展示方法の変更とスタンプレスレターの内容、特に表面の消印、手書き文字宛先、わずかに見える印に集中して新たな発見に努めた。最終チェック3回目。rate Markings route 1リーフごとに確認。

1837年カバー、手がかり見つからず。パナマ経由と推定の根拠を示した。

南米チリー、バルパライソから仏国ボルドー宛て手紙の表面部分のみ、内部に手紙はない。裏面にバルパライソ4.30とホルドー受信8.16.の手書き文字が見える。到着まで108日、1837年よく無事で到着したと思う。

パナマ経由貿易風を利用した機帆船500トンくらいの船で運ばれたと予想。速力6ノット、10港停泊、補給。幸運にも荒天に出会わず何とかカリブ港より欧州ポルトガルあたりに到着南から英国寄港することなく、ルアーブル経由送付された手紙と思えます。この時期南米最南端ケープホーン岬経由郵便は、捕鯨船等に委託したものがありますが到着まで6ケ月くらい必要です。冬の穏やかな気候11月頃までケープホーン通過待ちが必要です。

重要な消印は仏国入国通関印と思われる二重丸印Breau Maritime Le Harveとボックス印Pays D’outremer par Le Harve。手書きの船名 Ladalphe。数字20と28。これだけのデーターでパズル解明である。結果は英文表示のごとくである。20 desimes 船へ8 desimes仏国国内距離追加料金。その後の条約料金と同様に国内距離追加料金ありです。

最終料金は条約締結前、問題なし。書き込みPer Ladalphe 船名類似名見つからず。PLBとも読めるが? 1837年小型帆船継続的に探す。

1850-1856年 パナマトランジット印

パナマの英国郵便局印、朱色のトランジット印。もう少し鮮明な印が欲しいところです。英国領事館内にあったと言われています。

43年条約 国内距離料金追加

カレーの入国印。英国のドーハーから対岸の仏国カレーへいつもセットで英国経由の地名です。手書き料金仏国デセミ表示。10dが英国通過料金11dが仏国国内距離料金。この時代は国内料金均一でなく距離より追加料金必要です。

裏面に仏国通過印到着印ありです。1850年バルパライソ ボルドー65日で到着です。

1852年 英国から米国へ 逆ルート。切手なし前払い。

1840年英国ではone penny切手発行で国内どこでも郵便切手による郵便が可能になりましたが、外国宛てはまだまだでした。

切手は使用していないが、前払いスタンプレスレター。43条約適用。英国米国料金1シリング。パナマ通過追加料金6ポンド。サンフランシスコ追加料金10ポンド。合計2シリング4ポンド。複雑な料金体系です。黒色PAIDマークのみで途中のチェク印なしです。

ルートもパナマ接続最速船利用のため、グラスゴー サザンプトン カリブ海 セントトーマス経由パナマで太平洋側のオレゴン号に接続51日で無事サンフランシスコ到着です。

1853年 ボリビアからパナマ経由仏国へ

ファンデングエージェント使用。青色二重丸印着払いの支払い保証印でもある。この時代ボリビアから海に出るまで大変のようです。想像のみで具体的日付なしで残念。ペルーのアリカ港かチリーのアントファガスタ港経由英国パシフィックステーム ナビゲーション社の船で運ばれ、パナマのトランジット印、2種類朱印2行。黑印3行日付印。仏国カレーの入国印。手書き料金21消して42に変更。重量測定重さから2倍重量便に変更したようだ。

ボリビア/パナマ 18日 パナマ/ボルドー 30日

1855年 パナマ地峡横断鉄道開通

パナマ横断鉄道開通。1855.1.28. 郵便輸送が太平洋大西洋と4時間余りで結び飛躍的早くなる。

パナマ/ニューヨーク 11日

1857-58年 英国料金換算印

1857年 バルパライソ ボルドー49日到着。1858年42日到着。

ニューヨークからリバプールまでキュナード社の郵便船で輸送。その後英国ロンドン、ドーバー仏国カレーで入国。

仏国料金と英国換算レート印で確認、ボルドーに送付された。英国通過換算印パナマ英国郵便局で押された?

何か証明印が見つかると他のカバー探すも現在は未定?

1857年 ペルーより仏国へ

郵送日数間違い。単純ミス 35日に修正。28日はパナマから到着日数。

カヤオの英国郵便局投函。ファンデングエージェント使用。船名はすべて判明パナマまでNEW GRANADA 地峡通過後ILLINOISでニューヨークまでその後キュナード社のARABIAでリバプールへ。後は通常コース ロンドン カレーで入国印。英国換算印もここで確認押されたか?英国料金2F87 5/10 (2倍料金)仏国料金も24desimes2倍料金。やっと変則的な仏国手書き数字理解出来る様になった。

カヤオ/パナマ 7日 パナマ/ニューヨーク 14日 ニューヨーク/リバプール 11日 リバプール/ボルドー 3日

1854年 サンフランシスコ前払いからパリへ

展示順番入れ替え。まとめてPre-Paid 便を展示。

前払いスタンプレスレターは珍しい。船で40日余り到着するかどうか不明の手紙に事前支払いはなかなかしない。

米国最初の郵便切手は1847年5 、10セント切手が発行された。ほとんどが国内使用であった。外国宛ては料金の詳細不明等で切手でなくこのようなファンディングエージェント利用した前払い方式で利用された。

このカバーで珍しいところは朱色のニューヨーク通過印にA.PACKETと押され米国船社コリンズラインで運ばれた事である。英国主流の大西洋郵便船輸送にも米国船参入である。

サンフランシスコ/パナマ 14日 パナマ/ニューヨーク 12日 ニューヨーク/リバプール 15日 

リバプール/パリ 2日

1857年 3月のみの条約料金変更(571.1.-3.31.) 逆ルート パリからシスコへ

walskaコレクションから入手。コレクション全体を見ていないので概要は不明だがこの時代の料金推移を収集か?

前払い表面はおとなしいカバーである。仏国切手1849年発行。その後外国郵便にも多数使用されている。この手紙はパリのファデングエージェント使用。仏国切手使用なし。スタンプレスレターである。24desimes支払い。米国到着、米国料金改正前20セント追加料金なしで配達。この部分が珍しいらしい。

パリ/サザンプトン 3日 サザンプトン/パナマ 22日 パナマ/サンフランシスコ 19日

1959年 57年条約 前払いシスコからフランス宛て

米国から仏国宛て、シスコ前払い26セント。57条約。パナマ地峡通過。横断鉄道開通前2日で接続、工事終了部分はトロッコで鉄道レール使用通過。ジェラードカットの山岳部のみロバ等で輸送。後は定期船接続。ニューヨーク印に表示、アメリカンパケットでリバプールまで輸送。その後はいつものルートロンドン ドーバー カレー入国印 手書き16 desimes 2倍重量便、裏面パリ到着印。前払いでもファンデングエージェント使用することで、パナマ接続ニューヨーク接続仏国入国等の手続トラブル防止した。もし追加料金等発生の場合は支払い保証となる。

サンフランシスコ/パナマ 14日 パナマ/ニューヨーク 10日 ニューヨーク/リバプール 12日 リバプール/アイグレ 2日

1960年 シスコ前払い2倍重量便

リーフ点検ふと見るとカバーの下にPMSS SONORA不要、印刷ミスである。忙しく修正。このまま展示したらがっくりするところである。

前のカバーと同じ料金体系2倍便である。シスコ ニューヨーク カレーで前払い確認である。定期船で確実に輸送。ニューヨークまでNorth Starで輸送。キュナード社のアラビアでクイーンズタウン経由ロンドン カレーで仏国入りいつものルートである。

サンフランシスコ/パナマ 14日 パナマ/クイーンズタウン 11日 クイーンズタウン/ローシェ 5日

1963年 ニューヨーク支払 10セント Pre-Paid便か?

青のP鉛筆書き、朱色わずかに見えるPAID TO PANAMA見つける。ニューヨーク到着日支払いかと思っていたが赤鉛筆でSTEAMER10印消されていることからパナマ英国郵便局でファンデングエージェント経由支払い。額は不明。パナマ英国郵便局印あり、面白いカバーである。

バルパライソ/パナマ 21日 パナマ/ニューヨーク 14日

1964年 条約料金外 ニューヨーク支払い10セント

これも前のカバー同様青鉛筆Pマークあり。パナマ通過時支払いSTEAMER10印が黒2本線で消されている。

通常のSTEAMSHIP10はニューヨーク到着船で条約料金適用外郵便に適用される。1848年から開始されパナマからニューヨークは20セント。1851年改正2500マイルまで10セント(パナマ)2500マイル超えると20セントに。1864年7月1日から1874年まで総ての郵便船料金一律10セント。1875年からUPU条約により5セントに値下げ。

40セントガデマラで記載されたものか? 米国とガテマラ郵便条約不明。もう少し調査が必要。いろいろ料金があれば、代理店経由しているのでより安い料金が支払われた様だが?

サンホセ/パナマ/ニューヨーク 24日

1858ー63年 シスコ パナマ ニューヨーク 英国 仏国 定期便 36-37日

57年条約 2倍重量便 米国30セント 仏国 16 desimes と米国15セント 仏国 8desimesの普通便。

1866年 シスコ フランス2倍重量便 米国横断鉄道開通3年前

1966年 米国シスコよりニューヨーク経由便。1869年米国大陸横断鉄道開通3年前。輸送期間35日確実に届くとの補償と料金の安さでまだ船での輸送利用されていた。朱印の8角仏船内印、ニューヨークから仏ブレスト輸送。後は鉄道でパリ経由コニャック着。料金は57条約適用シスコで30セント2倍重量便未支払い確認。3セント米国国内 6セント船料金 2セント 英国通過料金 4セント仏国料金。仏国入国料金 16 desimes仏国2倍重量便。  

サンフランシスコ/パナマ 10日 パナマ/ニューヨーク 10日 ニューヨーク/コニャック 12日

消印、料金の配置、朱の仏船内印の配置。手書きの宛名、カバー表面だけでも内容理解出来れば十分楽しめる。

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