CHAT GTP 使用切手展リーフ作成。

SHIP COVER

Top リーフ

まず日本語でTopリーフ作成。個別のリーフ日本語翻訳はChat GTP 4使用後手作業で修正予定。さてどうなることやら? 前進あるのみまず作成してみる。

チリからパナマへ パナマから仏国直行へ

Chat GTPの答え

チリのバルパライソからフランスのボルドーまで船便で運ばれた手紙の展示リーフです。上部にタイトルがありL’ADALPHEという蒸気船で輸送されリーフの下部にはルートの詳細が書かれています。

また料金については28decimes とありフランス海外領土からルアーブルを経由してフランスに入る料金が28であることが示されています。何とも役立たずのそのままの翻訳です。

私が知りたかった仏国船の情報は不明。あれこれ質問してもダメでした。またルートもチリからパナマ経由仏国直行か?そのままパナマ経由せずマゼラン海峡経由か?108日間の航海でどのルート航海したかは不明です。

自分でその後見つけたのは20と言う数字が郵便船に支払われた料金。28が仏入国時の総料金28-20=8で8がルア-ブルからボルドーまでの仏国国内料金。690km。今後自分で調べることは船名から航路を知る。どのくらいの航海時間が必要か等多数。英国船は経由ではない様である?蒸気船の船名がグワダレールペ?仏船らしい?英国の通過印がない。仏入国にカレー印なく、ルアーブルとある。サザンプトン経由ならルアーブルもありだが?

パナマ地峡経由かマゼラン海峡経由か?

英国が世界を制する時代、仏船は少なく、輸送は英国船で20は船に支払われ、仏国料金距離プラスが正解のようである。後はパナマ地峡経由かマゼラン経由か? 1840年代初頭から英国のRoyal Mail Steamship Companyが定期郵便船サービス開始、当時はまだ組織化が進まず不定期運航と思われる。パナマ地峡通過も通過に数週間から数か月必要だった。主なルートは

  1. パナマシティからチャグレス川沿いクルセスまでそこから川沿いにカヌーでチャグレスまでその後ロバでアスピンウォールまで
  2. 直接陸路でポルトベロ、コロンへ

距離表

Valpariso/Panama 3456 /Colon 45/Le Harve/3683/ Total 7184 sea miles

Valpariso/Cape Horn 1491/Rio 2053/Lisboa 4192/Southampton 864/Le Harve 113 /Total 8713 sea miles

1600マイルの差。

7184マイルを5ノットで航行する。60日必要。パナマ地峡通過20日、残り28日、小型船なので補給のため港に寄港。

6日に1回の寄港で10回。1回日として30日。これでほぼ計算が合う。

問題は荒天に出くわす確率と思われる。4月から8月の航海は暖かいパナマ地峡経由、カリブ海の島々に寄港南回り航路の可能性が高い。

e-BayでCape Horn経由で下記の手紙見つける。1845年12月10日バルパライソ書き。1946年3月13日仏国ボルドー到着着である。12-3月の旅である。南極は日本の観測船でも正月に接岸する様に、冬は穏やかな気候と思われる。300トン余りの蒸気船で航海するにはケープホーンが静かな時のみと思われる。

chat GTPに聞いてみた。

手紙の航海ルートと時期についての再検証を行います。以下は、最初の手紙がパナマ地峡経由であることを検証する10の項目です。

  1. 日付と所要日数の一致
  • 手紙の日付:1837年4月30日にバルパライソで投函され、1837年8月13日にルアーブル経由でボルドーに到着。
  • 所要日数:推定される日数は約105日(実際の日数:105日)。
  1. 当時の航海ルート
  • パナマ地峡経由:パナマ地峡経由の航路は、通常バルパライソからパナマまで航海し、その後地峡を越えてカリブ海側に出て、そこからヨーロッパへ向かう。
  1. 天候と季節
  • 季節:4月から8月は、パナマ地峡経由の航海が比較的穏やかである時期。ケープホーン経由の航海はこの時期、特に危険が伴う。
  1. 船舶の種類
  • 船舶:300トン級の英国船(steamer)で、当時の技術と船舶性能から考えても、パナマ地峡経由の方が合理的。
  1. 補給と停泊
  • 補給と停泊:パナマ地峡経由の場合、航海中に定期的な補給が必要。推定された補給回数(10回)と所要日数(108日)は、現実的な範囲内。
  1. パナマ地峡の通行
  • 通行時間:パナマ地峡を越えるのに約20日かかるという推定は、当時の平均的な通行時間として妥当。
  1. 通行可能な季節
  • 気象条件:パナマ地峡は4月から8月にかけて比較的穏やかであり、通行が可能。
  1. 航海速度
  • 航海速度:5ノットという航海速度は、当時の船舶において平均的であり、距離と時間の計算と一致。
  1. 歴史的背景
  • 歴史的背景:1837年の時点で、パナマ地峡経由の航路はすでに一般的なルートとして確立されていた。
  1. 他の証拠
  • 他の記録:当時の手紙や航海日誌の記録を参考にすると、バルパライソからボルドーへの手紙がパナマ地峡経由で送られた例が多く見られる。
    これらの項目から、最初の手紙がパナマ地峡経由である可能性が高いと考えられます

と言うことでこのカバーはパナマ地峡経由のカバーと推測される

Screenshot

Cape Horn経由の手紙中々見つからないが、絵ずらも悪いので100$ overでは買いたくない。いくらで落札か?

油断していたら入札終了していた。60$で入札放置していたら、終了直前誰か61$で落札。残念。

出品者、仏国より英文でCape Horn経由の確かなエビデンスはない、というメールも届いた。SWANSEA SHIP LETTERの印は英国ブリストル湾の北西にある、この時代の小型船でにぎわった港と判明。まあ知識が増えた分暇つぶしになった。

2リーフ目 チリ ペルーからパナマ経由 仏国宛て

19世紀半ばの国際郵便物の歴史を伝える貴重な資料であり、郵便史を研究するする際に重要な情報、航海日数、ルート料金など。Chat GTP役立たず。残念。裏面の消印から通過地点消印輸送船名も判明した。Chat GTP使用中止、手作業で1枚1枚調査開始。

ボリビアからパナマ経由仏国へ

Chat GTPで輸送経路確認。

ボリビアからパナマまで輸送系不明。ペルーのアリカ港またはアタカマ回廊のコピア港またはチリーのアントファガスタ港からか? パナマまで18日。Pacific steam navigation Companyがバルパライソからパナマ間の郵便物輸送を英国政府との契約により隔週サービスを運営。ファーディングエージェント使用。(逓送代理店) 英国のパナマ局印。

米国ニューヨーク経由裏面の消印からロンドン カレー パリ ボルドーと陸揚げしてからはスムーズに輸送されている。

パナマ1/6 ロンドン2/3 まで18日。パナマからニューヨークまで8日それからロンドンまで10日快速便である。

料金は後払い21desimes手書きは仏国入国時カレーで書かれたと思われる。左側の72?数字不明。 

正解は42desimes 2倍料金。仏国カレーで21を消して2倍の42に修正。

1843年米国仏国郵便条約 (英国経由) 1856.年12月まで

1843年条約は1843.6.1.-1856.12まて適用。

米国から仏国への後払い 米国国内料金プラス距離追加料金

英国(英国3sh4d per once. 仏国10 decimes per letter )通過と海上料金。これにフランス国内距離割増料金

仏国後払いでは 10decimes 海上料金と英国通過料金

10decimes仏国内距離追加料金(600kまで)11decimes 850kまで

Colonies Sea AFT. 13  仏国海外県より21desimes (10d GB packet 11d距離850kまで)

19 desimes (10d GB packet 9d仏国距離 600kまで)

仏国より米国へ 

24c 船舶料金プラス 米国距離追加 (5c 距離追加300マイル以下 10c 300マイル以上)

英国より米国へ

1shiling Packet fee at Liverpool 

2c ship fee

5c inland 距離追加 300マイル以下 ボストンからニューヨーク

1857年条約米国仏国郵便条約 英国仏国料金 チリから仏国へ 1869年12月まで

1857年条約 1857.4.-1869.12.

チリ(英国局)より仏国へ

英国料金 1F 60c (2倍重量料金) 2F87 8/10

フランス料金  8desimes (2倍重量料金) 12desimes

米国より仏国へ 1857年条約

1857年条約 1857.8.-1869.12.

米国より仏国へ 

15c (3c米国国内料金 6c sea  2c 英国通過料金 4c仏国国内料金)

8desimes 仏国入国時カレーにて確認記載 米国15cと同料金

ペルーより仏国へ 1857年条約

英国料金 2F87 5/10 (2倍重量便)

仏国料金 24desimes

下部にPer New Granadaの書き込み見つけて調査開始。

1857年 料金変更時旧料金 Ex-walska collection

パリの代理店使用。先払い。24desimes (1857.1.1.-3.17.) 12 disemes

米国 20c (4c French transit 2c Britsh transit 6c sea 8cinland)?

鉛筆書き1077は何かな? 他のカバーにも同様数字見つける? 調査開始。

Screenshot

e-Bay出品からこのカバー見つける。英文での説明はSFの受取人の私書箱番号?

“1077” in pencil was marked at San Francisco to indicate the post office box of the recipient.

宛先が異なり受取地が同じことからforwarding Agentの番地と思える。

米国から仏国へ サンフランシスコ先払い。

1859年

15c (3c 米国国内料金 6c sea 2c 英国通過料金 4c仏国通過料金)

1859年 仏切手貼前払い 

仏国前払い

Steamship 10 1864年

steamship 10 ニューヨークにて後支払い10c、距離により20c

1866年 米国より仏国へ Un-Paid 2倍重量便

1857年条約

2倍重量便

米国30c

仏国16desimes

青鉛筆書きaかpか? 他のカバーにも見つける。Pre-Paidか? その下にわずかに朱印PAID TO PANAMAが読める。

ラッキー。他のカバーPDのそばにこの青色同様不思議な字体あり。どこで書いたのか。

Steamship 10が赤で消去されているのは、パナマで支払い済み、ということに確証を得る。

Japanese Philately 2001 Juneより

赤マークにわずかにpが見える。