スタンプショウ2022 フリースタイル切手展

SHIP COVER

“南洋群島の郵便“出品作品

2022.4.22-4.23東京都立産業貿易センターで開催の世界の切手まつりスタンプショウ2022に出品。

コロナのため会場にも行けず、返品された作品ゆっくり観察のためブログにアップ。

あれこれ再考、反省材料です。

 

参加記念賞。なかなか良いアレンジです。コレクションと共に苦労の記念に保管。

表題リーフ 全体の解説と構成 

気楽に出品作品の表題リーフのみ作成したが16リーフ作成するのに苦労した。トップページは印刷は簡単だったが何回も作成削除を繰り返した。フリースタイルと言うことで初出品気軽に応募したが、熱心に収集した部門でなかったので、マテリアル探すのに苦労した。歴史的背景等は比較的簡単にネット経由知識を得ることが出来た。また書込みも手書きからWORD EXCELの時代となり容易となった。

15年ブランク後の全国切手展初出品。毎日が日曜日の暇つぶしにはなった。

表題リーフに絵はがき、切手入れるか、あれこれ迷い変更したがスペースの関係で最終的に第二次昭和赤の10銭南洋地図切手10枚に落ち着いた。赤い切手が気に入っている。この珍品なら良かったが?

ドイツ横濱艦内局 1901年 ドイツのアジア進出

船関係の収集品の中から探し出した、ドイツ横濱艦船局1901年のカバー。南洋群島とは余り関係ないがこのカバー見せたかったので年代別でトップに出した。日本切手百科辞典1975年版P3にカラー版にて紹介されている。名品なのかな? 

裏面のドイツ語内容が知りたくてfacebookでドイツ切手グループに聞くが古いドイツ語は現在では理解不可らしい。

ドイツのアジア進出。1899年スペインから南洋群島購入とは知らなかった。

3リーフドイツ関係で作成。

ドイツ領ニューギニア

南洋群島はドイツ領ニューギニアの統治下に置かれていた。マテリアル不足の中e-bayで落札した郵趣家作成のPONAPE KAROLIEN消印。台はがきにmariana加刷がナイス? 往復はがきの返信部も好みである。同時期の未使用カイザー御用戦艦図案はがきもラッキーに入手。

ポナペ艦船郵便所 IJO PONAPE加刷

バッタものか? 田沢切手に青色でIJO Ponape加刷。ドイツ宛てカバー。大正3年第一次世界大戦勃発。日本オーストラリア軍により南洋群島はドイツ軍抵抗することなくすぐに占領される。直ちに日本は艦船内郵便局設。大正4年10月ポナペ艦船郵便所陸上に開局。一般郵便も取り扱い開始。これが時代背景。

この消印大正4年12月4日なら、陸上局で消印。しかし敵国ドイツ宛て外国人が投函できたのか? また正規でない加刷切手に消印可能だったのか? 艦六とは? 第六艦船郵便局を指すのか? 過去にもあれこれ議論されているが、まあ記念カバーと思えば無難? 競争展示なら減点かな? e-bayにて日本人出品者から購入。オーストラリア留学時入手したらしい。

ドイツ語圏でこのカバーの詳しい内容が知りたのだが? 知恵者どなたかご教授をお願いします。

PLEASE ADVISE SOMEONE ABOVE COVER USED IJO PONAPE ADD STAMP AND SEND TO GERMANY

ポナペ海軍軍用郵便所 軍事郵便 年賀状 1922年(大正11年)

やっと南洋群島の郵便に到着。消印状態は悪いが裏面と合わせて見ると、ヤップ海軍軍用郵便所よりの軍事郵便の年賀状です。この東京植草氏宛てのカバー多数見ますが通信学校の先生だった人物の様です。大正7年ドイツは降伏停戦しています。艦船郵便所も陸上開局、実質南洋群島は日本の支配下に置かれています。年賀状 軍事郵便 海軍軍用郵便所の消印が私のお気に入りです。

 

転任挨拶

同様大正11年転任挨拶状です。日本の信託統治開始は大正11年6月28日パリ講和会議後なので

このはがきはそれより前3月20日実質支配の証拠となります。

託送便 横須賀局機械印 昭和5年

南洋諸島からの郵便は月一回寄港する船により輸送されていました。次回寄港する予定は判明していましたので、それより早い託送便がある場合は軍艦または個人に託送。

軍関係は横須賀にて投函されました。手紙が通信手段の重要部分であった時代です。裏面の記念印と横須賀の消印が読めるのが良い。裏面カットで展示ちょつと詰め込み2枚展示でこの部分理解されたか?

横須賀局の機械印、きれいに読める。

日本郵船 南洋航路 山城丸投函 ヤップ郵便局

日本郵船 南洋航路 山城丸より投函。裏面山城丸絵はがき。

サイパン テニアン ヤップ島に向かう航海中。故里を離れて1600海里・・・ の文面が良い。

パラオ郵便局 大東丸差出 昭和7年

南洋興発社船大東丸乗組員が投函した封書と思える。南洋興発は南洋群島各島間またニューギニアまた日本間の不定期船を3隻運航。代理店は日本郵船を使用していと思える。パラオ局の鮮明な印が良い。

ヤルート郵便局

ヤルート郵便局 消印鮮明 台切手が田沢青なのでちょつと見にくいがお気に入り。

裏面のヤシ林のえはがき。全体的に気に入っている。

ちょつと縮小過ぎか?  小さくて何か不明?  縮小して一部分カット張り付けた。もう少しスペースがあったら? 見せ方に工夫が必要。

日本郵船 山城丸 南洋航路

折れて汚れた日本郵船山城丸のえはがき消印は横浜駅前。普通の船の絵葉書の使用済みか?・・・

文面を読むと南洋ヤップ島表記あり。民間帰国者に託してまたは山城丸に託して横浜駅前にて投函されたもの。私のコレクション内でランクアップ、このコレクションに採用された。

テニアン郵便局 パラオ島民 絵はがき

テニアン郵便局消印不鮮明。無封料金 風景切手2銭なのでリーフに採用した。パラオ島民の黒い顔の絵葉書は南洋の空気を感じるアクセント。

サイパン郵便局 黒活印 風景印

サイパン郵便局 黒活印風景印 カナカ族絵はがき 3枚詰め込み過ぎか? ちょつとキュークツ?

リーフ配置にアクセントと思い無理して3枚配置。セーフか?

練習艦隊 軍艦 磐手 ニューヨーク航海。復航パナマ通過後太平洋冬季荒天避けてサイパン経由か?

磐手の艦船印ナイス。米国行き英文版用意していた。練習艦隊は各港で結構艦船印必要だった様だ。

パラオ郵便局 駆逐艦 波風から投函

パラオ郵便局印昭和12年 鮮明2個押しサンキューOKである。

一等駆逐艦 波風より投函。文面より出港以来8日入港….2月25日パラオ着。3月1日ウルシに向かう。

艦歴より1922年12月28日第一駆逐艦隊編入。千島北海道方面の交通保護に当たる。日中戦争に際して

1938年(昭和13年)以降、華北華中沿岸作戦参加。北の警備から中国作戦従事のため移動中

ヤルート風景印 

ヤルート風景印消印不鮮明、だがまあ風景印珍しいのでいいか―? とリーフに入れた。外国人作成か? 

昭和16年(1941年)12月日米開戦まで交換局英領ギルバート諸島経由外国送付可能であった。個人名でなく会社宛てニュージーランドに送付されている。

サイパン女学校宛て 青函連絡船内投函はがき (東京青森間鉄道郵便)

青函連絡船から投函され、鉄道郵便郵便で東京まで運ばれた。たぶん横浜で南洋航路の船に積載されサイパン島まで運ばれた。サイパン島も人口増加家政女学校も開校されていた。平和な時代昭和13年。太平洋戦争開戦昭和16年から昭和19年までは平和な時代が続いた。

信託統治として平和な時代の南洋群島の郵便の展示でした。専門的に収集すればまだ多数の収集品が必要です。しかしこの収集はこれで終わりです。これ以上南洋群島の深みにハマらず、最後のサイパン島チャモロ族の絵はがき”色は黒ても南洋じゃ美人”到達したところで終了です。